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5.
駅まで引き返してきた司がホームに降りたって、視線を斜め上に向けると……なるほど。
数々の異変の諸悪の根源。
もとい奈央と目が合った。
その大きさといったらでかい。デカい。デカイ。とにかくデカい。
ずっと前から見慣れた光景ではあるが、空を覆いつくさんばかりの巨大な顔。
さらにこちらをじっと見下ろす黒い瞳。
それに加えて、頭から垂れ下がっている無数の黒髪には恐怖を感じるほどの威圧感と迫力がある。
(あっ、別に奈央の顔がデカいって意味じゃないからな、体全体がデカいからって意味だからな)
心の中で司は奈央に対して、謎のフォローをしていた。
仮にこの「箱庭」に慣れていない人が司と同じ大きさにまで小さくなった上で、今の奈央の姿を目の当たりにしてしまったのなら、
特撮映画に出てくる程度の大きさの巨大怪獣が全部しょぼく見えてしまうだろう。
それだけ今の奈央は巨大であり、また逆に言えば、奈央がそれだけ巨大に見えるほど、こちらが小さくなってしまっているということだ。
奈央は山の稜線のやや低くなっている部分に腕を置き、さらにその上に頭も載せた姿勢でこちらを見下ろしていた。
それもこの上なく上機嫌といった感じで。
自分の思い通りに事が進んでいることが奈央の顔に書かれていた。
しばらくこの「競争」をやっていなかったせいか奈央に対する警戒心と注意が薄れてしまっていたのだろうか。
どうやらまんまと奈央の思惑通りにハマってしまったようだ。
*
「ねぇねぇ、何でお兄ちゃんそこで止まってるの?」
奈央が笑顔で問いかけてきた。
実に恐ろしく、そしてわざとらしい質問だ。
自らこっちに問いかけてるくせに、その答えは自分が一番知っているはず。
進路妨害の原因は自分がやったことだと分かっているはず。
なのに、あえて自分は知らないフリをして、こちらにその答えを言わせようとしている。
こういう態度を取るとは非常に嫌らしい。可愛くない。
わざわざこんな回りくどいやり方を用いるということは、相手にその答えを言わせることこそが目的だからだ。
そして、相手に言わさせないとイケない状況を作り出しておくと、尚更、効果的であると言うことも付け加えておきたい。
「お前、トンネルの出口に何を置いたんだ?」
司はかなり強い口調と大きな声でで奈央を問いただした。
こうでもしないと見上げるほど大きな奈央に対して、自分の怒りが伝わらないと考えたからだ。
「ふ〜ん、やっぱり分かってたたんだ」
奈央も素っ気なく答えた。
「昔から似たようなことを何回もやられてるせいでな。で、オレは何を置いたと聞いている」
「私の靴だよ。しかも脱ぎたて♪」
奈央はなにやらうれしそうな顔で言い放った。
「何だよ、脱ぎたてって。そんなことアピールされても全然うれしくないぞ」
「そう?」
奈央としては「脱ぎたて」はサービスのつもりらしいが、司には全くもって意味が分からない。
「お兄ちゃん、そんなところで止まってていいの?今は競走中だよ?」
奈央が煽ってきた。
(なんかやっぱりこいつ、ムカつくな……)
年下の、妹の、ただ図体が馬鹿でかい、というか勝手に人を小さくしておいた上でとんでもない上から目線で会話をしてくるのが、癪に障った。
*
しかし。
ここでこのまま怒りに身を任せ、奈央に反論するのはどう考えてもよろしくない。
口は災いの元。言わぬが花、沈黙は金、雄弁は銀。
とにかく焦りは禁物。
余計なことを口走って、墓穴を掘るような真似だけは避けなければならない。
まずは心をしっかりと落ち着けた上で、冷静な大人の対応をすることがベストだと司は考えた。
いくら巨大とは言え、奈央は奈央。
これは変わっていない。
普通に、応対していればなんてことはない。
口喧嘩では、まだ自分に分がある。
これ以上、奈央のペースに持ち込まれないようにしなければいけない。
そして、今の状況に先程の「言わせたい理論」を当てはめると……
(なるほど、オレに靴が邪魔だって言わせたいワケか…)
ここで司が奈央に対して、線路上に置かれた靴を退けろと言う。
すると当然、奈央はこう返してくるだろう。
「靴くらい退けたらいいじゃん♪」
奈央はさも簡単なことのように言っている。
そりゃ、奈央からすれば自分の靴なんて片手どころか指2,3本で摘めて、簡単に持ち運びできる程度のものすごく軽いものだ。
それは特別なことではなく、ごく当たり前で普通のことだ。
が、今の司には到底、靴を退けることなど出来ることではない。
なにせ奈央はこの「箱庭」の中では、他に並び立つものがないほどの巨人なのだ。
そんな巨大な奈央が履いている靴ともなると、彼女自身の大きさに比例してこれまた信じられないほど巨大だ。
近くに置かれた奈央の靴は司から見て、まるでビルが横たわっているようなものだ。
それほどの大きさの靴を一体、どうやって移動させられるかというのか。
そんなの無理に決まっている。
そうなると何も言い返すことのできない司に対し、
「お兄ちゃん、私の靴もどけられないの?」と奈央がさらに追い打ちを掛けてくることも十分に考えられる。
だから、奈央が司に言わせたいのは……
(どうせオレが「奈央がデカイから」とか「オレが小さいから」とか言うまで白を切るんだろうな……)
ふと、司が奈央の顔を見上げてみると、案の定、奈央はサンタクロースのプレゼントを心待ちにする子供のような表情をしていた。
顔だけ見てると目をキラキラさせている。
(あれ、もしかしてオレ、かなり期待されてる……?)
妹ということを差し置いても、意外とかわいいと思えてきた。
(まぁ、前から思ってたことだけどさ、奈央は中身はさておき、顔はいいからな…兄のオレが言うのもなんだけど)
が、さっきからやってることは、圧倒的優位な立場の自分の力と大きさをこれでもかと見せつけてきたりとかなりえげつない。
もう子供じゃないんだし、そろそろそういう遊びもしなくなったりするのかと思っていたりするのだが、全然、そんなことはなかった。
むしろ今まで以上に、自分をからかってくる。
成長するにつれ、中々、小賢しいというか兄を弄ぼうとする小悪魔的一面も垣間見えるようになってきた。
でも、こういう部分がないと奈央ではない、とも司には思えてきた。
とにかく。
奈央自身に靴を撤去してもらわない限りはどう考えても、ここから先へ進むことは不可能だった。
どうやら、辞退を打開するためには奈央の望み通りに事を進めないといけないようだった。
(やっぱり……オレが折れないといけないのかなー)
大人っぽい容姿とは裏腹に、精神面では子どもっぽい所があり、そして、なにより「大きい」ことに喜びを感じている。
司はそんなどこか変わった妹との接し方に心を悩ませていた。
*
ところで。
もしも司と奈央、この二人が兄妹という関係ではなく、姉弟という関係だったら。
どうだったかをちょっと考えてみたい。
奈央は今でこそ、ちょっと風変わりで兄の司に対してはややわがままに接している面もあるが、基本的には甘えたがりの妹である。
よく「箱庭」で一緒に遊んで欲しいと司のところに頼みに来る当たり、それがよく表れている。
司を嫌っている素振りは微塵もない。
中学二年生という難しい年頃の女の子ということを考慮すれば、奈央くらいであれば、彼女の兄に対する普段の接し方はむしろ可愛げがあるとも言える。
奈央は司に対しては、年長の兄ということで、完全に優位な状況には立てていない。
たとえ体の大きさで圧倒的優位な立場に立てても、人生の経験値、兄と妹という関係といった要素が司の味方をしている。
だがしかし。
この力関係の大前提がひっくり返ってしまったとしたら、果たしてどうだろうか。
妹に振り回されている兄と兄を振り回している妹。
それがまったくもって逆転すると。
巨大化したがりで力を見せびらかしたがりの少々、変わり者の姉と振り回される弟。
となるとこの弟くんの立場は自ずと決まってくる。
よくて姉のオモチャ、普通で下僕、最悪、奴隷となるだろうか。
どこかのお姉さんは「姉に従うと書いて従姉のお姉さんなんだから」と曰われていたのだが……
奈央の方がお姉さんだったとしたら、今のようなシチュエーションだったならば、それこそ
『この靴を退かして欲しいのなら、「僕は虫のように小さな小人なので、巨大な奈央お姉さまの靴を退かすことはできません」ってくらい言いなさい♪』
なんていうやりとりがやってもおかしくないように思える。
ただでさえ巨大な妹に振り回されて大変な思いをしている司くんではあるが、彼に取って奈央の兄として産まれたということが人生最大の幸運なのかもしれない。
とりあえずさっきの奈央たんのセリフで萌えた人はMですね。自覚してください。
*
当初の目論見通り、司の進路上に靴を置き、妨害することは出来た。
そして、司に自分がいかに巨大な存在かを言わせてみようとした。
しかし残念ながら、司が大人しく、また素直に自分の思い通りの反応を見せてくるだろうという奈央の考えは甘かった。
確かに、奈央は14歳という年齢の割には聡明な女の子ではあるが、兄の司とてそこまでバカではない。
長年の兄妹の付き合いから、司には奈央が考えそうな・やりそうなことは予想出来ている。
そして、対処法も心得ていた。
ここで、司が反転攻勢に出たのだった。
「なぁ、奈央。オレに言わせたいんだろ?お前がデカいからだとか、オレが小さいからだとか」
「むっ……」
奈央の表情が一転して、曇った。
(いつものチビ兄ちゃんなら素直に私のこと、おっきいって言ってくれたのに……)
この「箱庭」の中で、司が小さくなっている時は立場が逆転する。
いくらお兄ちゃんとは言え、こんなにも大きな自分には逆らえないはずなのに……
そこで、奈央は今一度、実力行使に出ることにした。
(こうなったら大きさの違いをもっと見せつけてやるんだから…)
あくまで奈央は彼女なりの正攻法で司を負かすつもりでいたのだった。
*
司と奈央は海岸の背後にある小山一つを挟んで向き合っている。
小山というだけあって元々、そんなに大きな山ではないのだが、それでもその頂きは奈央の腰にも達していない。
むしろふともも程の高さ、膝の少し上くらいでしかない。
この山を跨ぎ越して、司のいる海岸に足を踏み入れようと思えば、奈央にとっては朝飯前のことである。
奈央は片足を軽く上げて、山を越えさせて、そのまま水の引いた海岸に置いた。
海岸近くの駅には司がいたが、あえてゆっくりおろすこともなく、普通に着地させた。
そっと慎重に下ろせば振動は起きない。
逆に、思いっきり力強く踏みつけるようにすると地震のような揺れになる。
だからその中間、普通に下ろすとちょっと小さな地震と同じくらいの揺れが伝わるのだ。
体の大きさの差、持てる力の差を見せつけて、素直じゃない小人さんをちょっと怖がらせるにはもってこい。
「お兄ちゃん、私のおっきな足が降ってきて怖かった?」
「別に……慣れてるし。怖くはないぞ」
司はやや誇張して奈央に対して強がってみせた。
司がいる場所から少し離れていたとは言え、あんな巨大な足が空から降りてきて、恐怖感を覚えないはずがない。
だが、兄としてここで妹に対して弱い面を見せるわけにはいかないのだ。
「ふ〜ん、つまんないの〜」
「おめーは一体全体、オレに何を求めてるんだ」
「え〜、怖がってくれたら楽しいなーって思ってた」
「お前がデカくなってるだけでは怖くはない。もうとっくの昔に慣れたからな」
「ちょっと足を動かすだけでお兄ちゃんを怖がらせられる私ってすごいでしょーみたいな?そんな感じ。
お兄ちゃんには分かんないと思うけど楽しいんだよ♪」
「そうか。あとオレは小さくない」
「うん、お兄ちゃんは小さくないよね。私が大きいだけだもんね♪」
「……ったく。」
最近は昔に比べると随分と口も達者になって、生意気になってきた。
上から目線に、見下ろし口調、兄を小人扱いにして、自分を巨人のように扱えと、ウチの巨大な妹様は中々の暴君でいらっしゃる。
でも、司は分かっていた。
これが奈央なりの「甘え方」なのだ。
だから、司も奈央に対しては甘くならざるを得なかったのだ。
(ほんと、しょうがねぇ奴……)
自分が意地を張り続けても仕方が無いので、そろそろ奈央の言う通りにしてやろう……
*
と、その時。
突然、大音量の電子音が上から降ってきた。
「うるせ〜〜」
あまりのうるささに司は思わず耳を塞いで、その場にしゃがみ込んでしまった。
大音量の原因は奈央が持っていたケータイの着信音だった。
奈央からすればなんてことはないほどの音量。
だが、小さくなっている司には大迷惑なこと此の上無い。
そんなことは露知らずの奈央がポケットからケータイを取り出す。
メールが一件、着信していた。
そのメールの内容を確認し、すぐさま奈央は返信した。
それはその場で返さないと都合が悪いメールだったのだ。
「お〜い、こら、死ぬほどうるさかったぞ、ケータイの着信音」
そんな事情は露知らずの司は小さな体を振り絞って、奈央の耳にその怒りが届くように大きな声を張り上げていた。
「ゴメン、マナーモードにするの忘れちゃってた」
「ったく。奈央はオレに対する配慮というものが欠けているんだよ。
ちゃんと他人のことを考えて行動しましょうって、学校で習わなかったか?」
「習ったよ?」
「だったらだな、なおさら……」
「だって、お兄ちゃんだもん♪」
「ん?」
「今のお兄ちゃん、めちゃくちゃ小さいから怒っても全然、怖くないもん♪」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
「そういう問題じゃないの?」
「ったく、オメー、オレのこと舐めてるだろ……」
「全然♪」
司には奈央が本気で言っているのか、ふざけていっているのか、その真意が分からなかった。
「で、誰からだったんだ、さっきの着信は?」
「ううん、何でもないよ。単に友達からのメールだったから」
「そうか……」
自分にとってはさして関係の無いことだと思い、司は素っ気なく返事した。
だが、実際には司にも大いに関係してくるないようだったのだ。
奈央はあえてそのことを隠していた。
司から見えないところで、密かに奈央は含みのある笑顔を浮かべていた。
*
「あ、そうそう、お兄ちゃん、ゴメンね。これからちょっとだけ上に戻らないといけなくなったから…」
「えっ?」
奈央の唐突な発言に司は耳を疑った。
司が驚くのも無理はない。
現状、この海岸に通じる2つのルートのうちの進行方向の1つは、もう既に奈央の靴で塞がれてしまっている。
今まで、どうにかして奈央に靴を退けさせようとしていたのに、肝心の奈央がこの場を立ち去ってしまうと、
司はここから先に進むことが本当に不可能となってしまう。
残るルートは、来た線路を逆に辿るというものだったのだが……
こちらも司の思ってもいなかった方向に事態は展開した。
「あ、それと、お兄ちゃん。私が戻ってくるまでここから逃げちゃだめだよ」
奈央はそう言って、司の目の前でもう片方の足に履いていた靴を脱いで、そのまま腕を山の反対側に伸ばして、南本側のトンネルの入口にドサっと置いた。
司からは直接は見えなかったが、おそらく線路は巨大な靴で塞がれてしまっていることは容易に想像できた。
司の残された希望は、あっけなく奈央の靴で潰されてしまった。
結果的に、これで海岸に通じる線路が両方向とも巨大な奈央の靴で塞がれてしまったことになる。
つまり司が電車でこの場を離れること自体が不可能となった。
「箱庭」の中の一区画に足止めされているこの状況で、奈央がこの場を立ち去ってしまえば、
司は為す術も無く、乗ってきた電車ごとここに取り残されてしまう。
加えて、縮小機を奈央に取り上げられてしまっている司が、ここから歩いて脱出することはまず不可能といっていい。
奈央にとってみれば、歩いて数分も掛からない大した事のない距離だが、司にとっては電車で何駅分にも相当する距離だ。
まさに絶望的な状況だ。
「大丈夫だって、すぐに戻ってくるから。それまで、そこにいてね〜♪」
司は奈央の言葉に嘘はないと思ったものの、結果的に海岸に取り残されてしまった。
そして、司を閉じ込めるようにして置いた二足の巨大な靴を残して、奈央は大きな足音とともに海岸から去っていった。
<つづく>
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