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6.


 「今、奈央ちゃん家の前にいるんだけど今から『箱庭』に寄ってもいい?」
先程、奈央のケータイに届いたこのメール。
その送り主は真美だった。
学校からの帰り道、ふと「箱庭」に寄ろうと思い立って、彼女は奈央にメールしていた。
幸いにも奈央からの返信はすぐにきた。
返事をくれた奈央が出迎えてくれるまで、真美は中条家の前で待っていた。



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 奈央は地下の「箱庭」を出て、階段を登っていった。
一階に上がり、すぐ横にある玄関のドアを開けた。
そして、家の外で待っていた真美を出迎えた。
朝から降っていた雨はいつの間にか止んでいた。
「奈央ちゃん、久しぶり〜。メールにすぐ気付いてくれてありがと♪」
真美は軽く手を振って、出迎えに来てくれた奈央に声を掛けてきた。
「あれ、お姉ちゃん、今日は学校帰り?」
奈央は休日にも係わらず制服姿だった真美を見て、こう質問した。
「うん、今日はね。ちょっと学校に用事があってね。だから、今はその帰り」
「そっか。お姉ちゃんは今日も『箱庭』に遊びにきたの?」
「そのつもりだけど……もしかして何か都合が悪かったりする?」
「ううん、全然♪」
「なら、よかった♪」
真美がやってきたことで「競争」が中断されてしまうことになる。
が、司は困るかも知れないが、実は奈央にとっては大した問題ではない。
何なら真美も混ざって、三人で一緒に遊んでしまっても構わない。
たとえ、そうなっても司も文句は言わないだろう。
いや、司は縮小化されてしまっている状況上、正しくは文句なぞ言えないと言うべきか。
縮小化されてしまった者の惨めさは周知のとおりである。



 「そうそう、さっき一応ね、司にもメール送ったんだけど。メールの返事がこなかったんだけど、今、寝てるの?」
本人の素知らぬ所で、司は休日の真っ昼間に寝てる扱いされていた。
随分、おざなりな扱いだが、これも「箱庭」の主人公である以上、仕方がない。
最もこれくらい言い合える仲とも言えるのだが……
「ううん。今、お兄ちゃんは『箱庭』の中にいるから。 だから、多分、ケータイ持っていってないか、届いててもメール自体に気づいてないかのどっちかだと思う」
「そっか〜、『箱庭』の中にいるって言っても、そもそも自分ん家の中だし、わざわざ持っていかないこともおかしくないね」
なるほどとばかりに真美は奈央の説明に納得した。
「あ、でも、お兄ちゃんだけじゃなくて、私も『箱庭』の中にいたよ」
「ってことは、二人で『箱庭』で遊んでたの?」
「うん♪」
奈央はまるで幼い子供のように元気よく答えた。
「仲の良い兄弟がいるっていいなー。遊び相手になってくれるお兄ちゃんがいるなんて、ちょっとうらやましいかも」
元々、一人っ子である真美は羨ましそうに言った。
「でも、今は奈央ちゃんがいるしねー♪」
「ねー♪」
司を通じて出会ってからというもの、こんな感じで仲良く調子を合わせられるほど二人の中は親密になった。
もはや少し年の離れた親友であり、仲の良い姉妹みたいな関係になっていたのだった。



 「そういえば、二人で遊んでるって言うけど何してたの?」
奈央は今、司と「競争」をしていることを教えてあげた。
「なるほど、なるほど。ということはそれじゃ、司には今、私がここにやって来てるってことは伝わってないわけか……」
「うん、多分、知らないと思うよ」
「ふ〜ん、なるほど、ね。まっ、それはそれで司をびっくりさせるにはいいかもね♪」



 これはこれで好都合な情報である。
真美も真美で「箱庭」にいる司を驚かすことに楽しさを感じていた。
司が小さくなって「箱庭」にいるところに、真美が小さくならずにいきなり入ってきたら、少なくとも少しは驚くだろう。
何せ一度、「箱庭」の中に入れば、身長150センチ足らずの真美でさえも、200メートルを優に超える大巨人へと変貌するからだ。
少なくとも真美は奈央と同じく、「箱庭」に小さくならずにそのまま足を踏み入れて、「巨人」になったような感覚を楽しんでいる。
小人から見た巨人の凄さは真美も十分に知っている。
直接、小さくなって巨大な自分の姿を見上げることはないものの、その光景は容易に想像することはできる。
小さくなっている司からすれば自分の姿がとんでもなく大きく見えることは間違いないだろう。
そして小さい司を思う存分、いじってやるのだ。
それを考えると何だかちょっぴり楽しくなってきたのだった。
お手軽に楽しめる「非日常体験」と言ったところか。



 「お姉ちゃん、すごく外暑いし、早く中に入ろうよ」
「そうだね、おじゃましまーす」
そして、そのまま玄関に入ると二人はすぐ横にある「箱庭」に繋がる階段を降りていった。



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 眼下に広がる美しい街並み。
忠実に現代日本の風景を模した「箱庭」の風景は、大きさこそ実物の1/150スケールだが、
一見すると現実のそれと見間違えるほど、細部まで丁寧に作りこまれていて、非常に完成度が高い。
実際に、そこで人々が生活しているのではないかと思えてくるほどだ。



 そして、ひとえに「箱庭」と言っても、その規模と中身の構成は各々で大きく異なってくる。
レイアウトが一つのテーブルの上で収まるほどのごく小さな規模のモノから、
中条家にある「箱庭」の十倍以上はあるんじゃなかろうかという超大規模クラスなものまで、存在している。
ちなみに、この「箱庭」は地下室の床面に設けられたタイプで、おおよそ、この「箱庭」内で一つの都市を再現できている。
人工的な風景としては住宅やビルが立ち並ぶ市街地あり、そして田んぼや畑と農道ばかりの田園風景あり、
自然的な風景としては海あり山あり川あり谷ありと、一応、現代日本の都市と自然の風景をモデルとして構築してある。
この「箱庭」自体の大きさとしては、これで中規模からやや大規模な範疇に入る。
これだけのモノを作り上げるのに作り始めてからもうすでに十年近くかかっている。
それでも未だに未開発な区画もあるので、全体としてはまだまだ発展途上だ。
完成を迎える日はいつの日になることやら……



 それはさておき。 
「箱庭」は作り手のこだわり、趣向や性格も、個性としてその構成に現れやすい。
元々、鉄道模型愛好家用に考え出されたものだが、今では鉄道模型愛好家以外にも広がりをみせている。
模型と同じ大きさになって、その世界に入り込みたいと思っているのは何も鉄道模型愛好家だけではない。
とは言え、ご存知のとおり、この中条家の「箱庭」は鉄道模型レイアウトとして、作り上げられている。
そのため、線路沿いが建物や住宅の模型で賑やかな感じになっている。
その一方で、「巨人ごっこ」を楽しみたい奈央のためにも設けられた設備もある。
今、奈央と真美が歩いている「巨人用歩道」もその一例。
ここを歩いている限り、足元にひしめき合う小さな建物を踏み潰さずに自由に歩き回れる。
奈央にとっては欠かせない存在だ。



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 奈央と真美は、司が閉じ込められている海岸へと「巨人用歩道」を歩いていた。
一応、「巨人用」ということにはなっているが、実際にこうして歩いてみると決して広い道とは言えないのだが、
これでも他の普通の道路とは比べものにならないほどに広く作られているのだ。
「なんか最近、前に奈央ちゃんが言ってたことなんとなく分かってきた」
「箱庭」の中にいると感じるまるで自分が巨人になったような感覚。
あるいは、小人の国にやってきたような感覚。
そして、それはいつも奈央が楽しいと感じる感覚でもある。
「でしょー?」
奈央は真美にも自分の気持を共感をしてもらって、うれしく思っていた。
単純に同じ気持ちを分かち合える人間がいる。
それだけで奈央を喜ばせるには十分だった。
「なんていうか、こう模型とかジオラマの中って普通、立ち入り禁止じゃない?大体、テーブルの上にあるけどね。
 それで入ってはいけない場所に入ってる気持ち良さ?みたいなのは私としては結構感じてるかな……」
「うんうん、分かる〜」
「それに『箱庭』に入るとホント自分が巨大化したような感覚になって、まぁ、本当に巨大化しちゃったら大変なんだけどね……」
「そこが楽しいのにねー。誰かさんはそれが全然分かってないみたい。ずっとここにいるのにね」
「そうそう」
「多分、お兄ちゃんはすっごくニブチンだから、ね」
「そんな分からず屋はずっと小さいままでいいのよ♪」
奈央が先導する形で、二人は「箱庭」の中をずんずん歩いていく。
「箱庭」の入り口から司を閉じ込めている海岸まで、歩いていけばすぐに着く。
奈央はもちろん、真美も小さな「箱庭」の世界を慣れた足取りでひょいひょいと歩いて行く。



 「奈央ちゃんは子供の頃から、ずっとここでこうやって遊んでるんだっけ?」 
真美は司から聞いていた話を思い出して、奈央に聞いてみた。
「うん、お父さんからも入ったらダメとか言われたことないよ。
 一応、『お前が歩いて、歪んだら困るから線路の上とか歩くな』とはお兄ちゃんから言われるけど……
 後は、特にあんまり言われたりしたことないかな……
 だって、お兄ちゃんだって、線路を敷いたり、建物を設置するときは小さくならずに『箱庭』の中に入ってくるし……」
「そっかー。ってことは、割りと奈央ちゃんの好きなようにさせてもらってるってこと?」
「うん。だから、私と一緒に大きくなって、お姉ちゃんが入ってきても大丈夫♪」
少なくとも「巨人用歩道」を歩いたり、その他の場所でも何かを踏んづけて壊してしまわない限りは好きなようにしていいと言われているのだ。



 「ほら、あそこだよ。」
「一応、あの山の向こうに海水浴場があって、そこでお兄ちゃんが待ってるよ〜」
山といっても、その実、彼女たちからすれば軽く跨ぎ越すことが出来るほどの高さしかない。
「電車で来ると結構時間掛かったのに、歩いてくるとすぐ着くなんて何だか面白いね」
電車に乗って海水浴場に行ったときは、まるで本当にどこか遠くの海に出掛けていったような感じだったのに、今は、全くそのような感じはしない。
そう考えると、わざわざ小さくなって、電車に乗り込んでやってきた価値はあったのだ。



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 奈央が立ち去って数分。
本人が言うには、すぐにこっちに戻ってくるとのことだったが。
果たして、言葉通りちゃんと戻ってきてくれるかどうか、そもそもそれが怪しい。
「箱庭」の中に縮小化されて放置された上、元の大きさに戻る方法も移動手段も奪われている身としては、少しばかり不安になってくる。
性格的に奈央は嘘を吐いたりすることはないので、素直に奈央の言葉を信じて、しばらくすれば戻ってくると思っておきたいところなのだが……


 と、そんなことを考えているとそうこうしている内に、一応、約束通り奈央が戻ってきたことが、司には分かった。
思いのほか、そんなに時間は掛かっていない。
ここからでは、山に遮られているためにこちらに向かって奈央が歩いてくるであろう姿は直接は見えない。
だが、それでも巨大な奈央が歩く音と振動が遠くからでも司がいるところにまで伝わってくるからだ。
それと、今回は地響きだけではなく、雷鳴のように轟く話し声も聞こえてきた。
それも一人分ではなく二人分。
一つは奈央で、もう片方の奈央とは違う声にも司は聞き覚えがあった。
(なるほどな……アイツが来たのか……あぁ、さっきのメールはアイツから着たやつで、出迎えに行ってたわけか……)
司には、これから起こりうる状況を容易に想像することが出来た。



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 「お姉ちゃん、ここだよ〜」
奈央が山のそばでしゃがみ込み、山の反対側を指で指し示した。
「うわっ、ちっさ。ここがこの前、海水浴をした海岸なの?」
「こうして見るとすごくちっちゃくて狭いでしょ?」
「こんなにも小さくてびっくりしちゃった」
真美は山の尾根に手を置いて、海岸を上から覗き込んだ。
先日、ここで海水浴をしたときには、広々とした場所だと思えたのだが……
どうやらそれは1/150の大きさに小さくなっていたからに過ぎないようであった。
仮に真美がこの海岸に立ち入ろうとすると、丁度、一人がギリギリ立っていられるほどのスペースしかなさそうだ。
ここに二人で並んで立つ余裕は明らかになかった。
一人でも、座り込もうとすると狭くて窮屈になってしまうほどしかなかった。
「えーっと……この海岸に司がいるんだよね?」
「うん、ここに閉じ込めておいたの♪」
「と、閉じ込めてたのね……」
「だって、お兄ちゃんが小さくなってる時は私には逆らえないから」
真美はこの兄妹のヒエラルキーを垣間見えた。
(奈央ちゃん……恐ろしい子……)
「この海岸って、海と山に囲まれてて、駅はトンネルに挟まれた場所に位置してるから、そこを塞いじゃえば簡単に閉じ込められるんだよ♪」
さらりと怖いことを奈央は言うが、遊び半分でのことだろう。
彼女がどうやって司を閉じ込めているのかと気になって見てみると、そこにあったのは線路上に放置された奈央の靴だった。
「そういえば奈央ちゃん、今、靴履いてなかったんだね……さっきから、何かヘンだなーって思ってたらそこだったのね」
海岸に通じる二ヶ所のトンネルの出入り口にそれぞれ1つずつ無造作に置かれていた。
何の変哲もない靴なのに、こうして「箱庭」の中に放置されているのを見ると、如何に自分が大きいかが分かる。



 「あれ?司ー?どこにいるの?」
真美が海岸の砂浜を見下ろしても、司らしき小さな人影は見つからなかった。
「……こっちだよ」
何やら真下の方から声が聞こえてきた。
視線を声がする方に向けると、そこには線路と駅のホームがあった。
そのホーム上に司はいたのだ。
「あっ、いたいた」
「何だよ、真美まで縮小化せずに入ってきたのか……」
「話し声で分かったでしょ?」
「さすがにこれだけデカい人間が二人も歩けば、話し声だけじゃなくで地響きのような轟音と揺れが何回もあるからな」
「学校からの帰り道でふと寄ってみようかなーって思って奈央ちゃんにメールしたら、二人で遊んでたんだって?」
「どっちかっていうとオレは遊ばれている」
「奈央ちゃんに小さくされちゃって、逆らえなくなって閉じ込められてるんだっけ?」
「ものすごくイラッと来る言い方だな……まぁ、実際、その通りだけど」
「ゴメンゴメン」
真美まで「箱庭」やってきてしまってしまっては、もはや「競争」どころではなくなってきた。
さて、これからどうなることやら……司には検討もつかなくなってきた。
この調子で行くと、奈央の気分次第で物事が進みそうである。



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 「お姉ちゃん、どうする?ここで小さくなって、お兄ちゃんのところに行く?」
「えっ、できるの?」
「今、縮小機2つ持っているから、お姉ちゃんにはお兄ちゃんの縮小機を貸してあげるね。
 で、小さくなったお姉ちゃんを私が手に乗せて、海岸に下ろせば大丈夫♪」
「なるほどね。せっかく遊びに来たことだし、小さくなっておっきな奈央ちゃん見上げてみようかなー」
「ほんと!?」
「司は嫌がってるかもしれないけど、私は割りと楽しんでるのかな?奈央ちゃんみたいなかわいい子が怪獣みたいに見えると面白いから……」
真美がそう言うと奈央は妙に上機嫌になっていた。
「あっ、そうそう。それでね、私にいい考えがあるの」
「え、なになに?」
奈央は真美を呼び寄せて、耳打ちをしてある提案を告げた。
普通に話していても、巨人である彼女たちの声は箱庭中に響き渡る。
司に聞こえないようにするためにも、声を潜めて耳打ちしなければならなかった。
「そっか、縮小機を上手に使えば、そういうことも出来るんだね。面白うそうだしやっちゃおうかなー」
「多分、またお兄ちゃんをビックリさせるにはいいと思うよ」
またしても司の知らないところで恐ろしい計画が進行していったのだ……




<つづく……>

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