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2.






 ここで中条家の地下にある「箱庭」について触れておこう。
今さら何故に?と思う読者の方々も多いかと思うが、
話の都合上、これから先に必要になるからであって、
決して作者の突拍子もない思いつきでいきなり書くことになったなどということは決してない。




 コホン、話を元に戻そう。
実は「箱庭」にはリアリティを出すために地名が存在する。
ジオラマの街とは言え、雰囲気を出すには必要不可欠の小道具だ。
あっちやこっちで済ますにはちょっと「箱庭」は広すぎる。
さて、「箱庭」には大まかに分けて、五つの地区がある。
それが、東浜・西塚・南本・北山・中央の各地区である。



 その名の通り、「箱庭」の中央を基準に東西南北の各方向に由来する名前がそれぞれ付けられている。
東西南北だけでは何か味気ない感じがしたので、
適当な漢字一文字を付け加えて地名らしくなるように工夫した。



 ちなみに、中条家の玄関は家の南側にあるため、
玄関横の階段を通って「箱庭」に入る場合は、必ず南本地区から出入りすることになる。




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・東浜地区

 ここは、夏休みに司達が海水浴をしたあの海岸がある地区である。
最近になって、海岸から少し離れた区画の一部を真美が、
自由に使えるように司が取り計らった結果、海岸の近辺に新しい街が誕生した。
しかしながら、依然として何も整備されてない一帯も多く、今後の発展が待たれる。
(『箱庭』は思いのほか広いのだ!)




・西塚地区

 この地区には「箱庭」の中を走る鉄道の車両基地がある。
車両基地には、コレクションの車両が一同に並べられていて、
鉄道好きなら思わずうっとりとする光景が広がっている。
また、司の部屋と「箱庭」をレールで直結する「司線」もこのあたりで本線と合流している。
簡単に言えば、この西塚地区は「箱庭」の中を走っている鉄道の要所である。
そのため、ここには司がよく入り浸っている。


・南本地区

 多くの場合、「箱庭」に足を踏み入れて最初に訪れることになる地区である。
後述の中央地区と一体となって都市の中心部を形成している。
駅の北側は、ビルやマンションなどの比較的背の高い建物が多く立地しているので、
奈央が巨人ごっこをする時は、大抵、昔からここですることが多い。


・北山地区

 この地区のメインは自然や田園風景のため家やビルは少ない。
「箱庭」の中で1番背の高い山があるのもここである。
とにもかくにも自然が豊富な部分である。(風景的に)
書いている人が特に何も決めてないから文章量が少ないということでは決してない。



・中央地区

 南本地区から建物が続いている地区。
「箱庭」の中心部にあるため環状線はここを通過していないが、
その代わりに司が東西と南北を結ぶ線路を設置している。
そしてこの地区で交差しているのだ。




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 (さて、どうしようか...
仮にも、「競争」の相手をしてやるんだから使うのは、スピードが出るヤツの方がいいよな...
それとモーターの調子のことも考えるとだな...)
司は奈央と「競争」できる条件に合う車両を探していた。
自慢の車両がいくつも並んだ中から一つだけを選ぶのは悩ましい。
「箱庭」内をある程度の時間、高速で走行することも考えなければならない。
それぞれの車両のモーターの調子の良し悪しは、頭の中に大体入っている。
(おっ...これはこの前メンテナンスしたばっかだから、丁度いいな)
車両基地の広い構内を歩き回った末、司は一つの車両に目を付けた。




 実物の車両は、北陸地方を時速130キロで疾走している特急車両だ。
模型では、どの車両も性能がほとんど画一化されてしまっているが、
それでも、白い車体と相俟ってスピード感があってイメージ的にはいい。
車両選択は「競争相手」の奈央にとっては、あまり重要なことではないだろうが...
(ただ、確かコレ12両フル編成だったはずだから、身軽にした方がいいな...)
鉄道模型の車両と言うのは、通常一編成の中にモーターが付いている車両は一両しかない。
なので、単純に車両数、つまり重量を少なくした方がスピードも出やすいし、負担が減ってモーターにも優しい。
特に登り勾配の区間ではそれが顕著に現れる。
鉄道という交通機関が勾配に弱いのは現実でも模型でも同じなのだ。





 幸いなことに、この車両は基本編成と増結車両は簡単に切り離して、総重量を軽くすることが出来る。
もちろん、切り離す作業をするのは...
「おーい、奈央。この車両を前と後ろに切り離してくれー。
どこで切り離せばいいのかは分かるよな?」
「うん、大丈夫。お兄ちゃんは中で待っててね」
こういう作業は「巨大妹」にやらせるのがラクだ。
たまには、「巨大妹」をこき使ってもバチは当たらない。
それと、何より本人が楽しそうだし...
司は言われたとおりにおとなしく待つことにした。





 窓から外を覗くと、奈央の巨大な手が近付いてくるのが見える。
そして、車両全体がやや大きく揺れる。
奈央が指先で車両を摘んだ時の衝撃が襲ってきた。
「じゃ、切り離すよ」
もう一度、大きな揺れがやってきた。
「お兄ちゃん〜、終わったよ〜」
模型の扱い方は、前々から司が直々に教えてきたので、奈央の手付きも手慣れたものだ。





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 「サンキュー。じゃ、次はこの車両を本線まで持って行きたいからポイント切り替え頼むぞ」
この留置線から本線に至るまでには、5,6ヶ所のポイントがある。
それらをすべて切り替えないといけない。
ポイント切り替えは遠隔操作できるスイッチがちゃんとあるのだが、
線路傍に直接切り替えられるスイッチが付属しているのでそれもついでに、奈央にやらせる。
遠隔操作も便利だがちゃんと切り替わったかどうか確かめる術が目視以外ないので、
「巨人」の視点から、全体を見下ろせる奈央に任せた方が好都合なのである。
巨大な指が上から降りて来て、次々にポイントを切り替えていく...


 (もうお馴染みの光景だけど、やっぱりヘンだよな...)
ガラス越しの眼前にある妹の巨大な指先を見て、司はこう思った。




 奈央は基地の横に広がる広大な空き地にその巨体を横たえて、
屈託のない笑顔で司のいる辺りを見下ろしている。
今やった一連の動作で、奈央はほとんど体を動かしていない。
腕のみを動かしている。
それも右腕だけだ。
それでいてこの基地全体に十分手が届くのだ。
いかに、奈央がデカいかが分かる。
「準備終わったよ、お兄ちゃん♪じゃ、『競争』始めようね♪」



 こうして決して勝負にならない「競争」が始まるのだ。



...と、思いきや奈央は立ち上がろうともせずに寝そべったままこちらを見下ろしていた。
(自分で始めるって言っておきながらおきながら準備してないじゃねーか....
ふぅ...勝手に始めよっと...)
司が一人勝手にツッコミを入れていた。



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 司は、窓から奈央のいる方に目を向けた。
すでに司が電車を動かし始めて「競争」がスタートしたというのに、
依然として奈央の方はさっきと変わらぬ姿勢で司の方を見下ろしていた。
まだ立ち上がろうともしないのは、余裕の現れだろうか...
少し癪に障る。




 電車が車両基地に繋がる引き込み線から本線に合流した。
ここから先の本線では、カーブ以外の場所ではスピードをおもいっきり出せる。
グングンと加速し続けていた。
もうすぐ100キロに達するだろう。
最高時速130キロにも達する特急電車と奈央が歩くスピード...
比べものにならないくらいの歴然とした差がそこにはある。




 なぜなら、奈央は「巨人」なのだから...
彼女が歩く方が圧倒的に速い。
何せ150倍サイズだ。普通に歩くとして単純計算で時速600キロに相当する。
かなりゆっくり目に歩いたとしても時速300キロ....
新幹線の最高速度と同じスピードとなる。
あまりにもはっきりとしたスピードの差を見せつけられることに、司もよくわからないが悔しさを感じていた。
体の大きさがあれだけ違うとは言え、負けること自体が悔しさを生み出す。




 実際の鉄道とは違い、線形もほぼ真っ直ぐ。
司が運転するこの車両以外は、当然、線路を走行する車両は一本もなく、信号は常にオールグリーン。
踏切はあれど横断する人や車などもちろんない。
電車の運行を妨害するものは何もない。
「巨人」となって、不気味に背後に控えている妹の奈央以外はだが...





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 電車の加速もほぼ終わった頃、後方から何やら轟音が聞こえてきた。
これが何の音か。大体の予想は付いているが、
司は一応、窓から後ろを覗いてみる。


 予想通り、車両基地の横に巨大な「塔」が出来上がっていく途中だった。




 前方の安全を確認しつつ、後ろにも目を向け続ける。
「箱庭」の中では、多少はよそ見をしていても運行の妨げとなるもの自体がないので、まず事故になることはない。
ただ妹が立ち上がっていくだけなのに、150倍という大きさ故に、その光景に見入ってしまう。
一つ一つの身体の動きがあまりにも壮大なのだ。
頭のてっぺんから足まで視線を移動させるだけでも妙に時間が掛かる。
ついでに、奈央の足元を見ると靴の高さより高い構造物が何一つない。
あっというまに身長255メートルの「巨大妹」の出現だ。




 奈央の巨大さに司は押し黙って、深いため息を吐いた。
(いいさ、奈央が楽しそうにしてれば...
 あまりオレの邪魔にならなければだがな)





 奈央が立ち上がったということは、いよいよ、本格的に「競争」が始まるということだ。
ここから先に、線路と「巨人」用歩道が並走している区間がある。
奈央なら、そこで何かしらのことをやり始めてもおかしくない。
幼いころから、奈央の巨大さを見せつけられるのは司と決まっている。
妹の希望を無視するのもかわいそうで、司が「小人」役を引き受けてあげるほかない。
もうすぐ、他では体験できないくらいの凄まじい轟音と地響きと共に奈央が歩き始めるだろう。
司はもう一度深いため息を吐いた。



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 一緒に遊んでと頼んだ時は、何やらぶつくさ文句を言おうとするそぶりは見せるが、結果的には、自分と遊んでくれる。
奈央はそんな妹思いの兄が好きだった。



 「箱庭」で、司が「小人」に、自分が「巨人」になっている時は細心の注意を払う。
「箱庭」の中にある線路や車両、建物を壊さないように気をつけるのはもちろん、
自分が起こす些細な音や震動も司には全く違う恐怖すら与えるものになって届く。
ある程度の距離があれば、震動の方は和らいでくれるが、音の方はそうでもない。



 もっとも、この配慮をするのは「競争」する時以外はという条件付きであるが...


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 司の乗っている電車が離れていったのを確認してから奈央は立ち上がった。
(お兄ちゃんの電車見つけた♪
「もうあそこ」なのか「まだあそこ」...どっちかわからないけどね...)
外から大きさを変えることなく「箱庭」に入ると、「箱庭」の小さな街並みがほぼ全て見渡せる。
元の身長が170cmの奈央だと、高度約255メートルの高みから見下ろしていることになる。
多少、小さくなっても十分に「巨人」ではあるけれど、
やっぱり一番好きなのは大きさを変えずに「箱庭」に入ること。
こうして小さな街並みを見下ろしているだけで、だんだん胸が高揚してきて心地よくなる。
時として、心臓が強く早く鼓動してドキドキを感じることもある。





 (こんなことでうれしくなっちゃうのは、わたしはヘンなのかな...?)
たまに、ふと冷静になって自分が「変わった女の子」じゃないかと考えることがある。
きっとミニチュアセットの中に入ってこんな気持ちになるのは、
世の中で自分しかいないと奈央は思っていた。
それを思うと心の中が少し不安になる。





 でも、「箱庭」に入って遊ぶこと自体は、誰にも不思議には思われていない。
家にやってきて「箱庭」を見た人はみんな驚きと感激の入り混じった感想を述べる。
そこでいちいち、「自分はこの中に入って巨人になって遊ぶのが大好きです」なんてことは言うわけではないのでなおさらだ。
(おとーさんもおかーさんもお兄ちゃんも夏姫お姉ちゃんも真美お姉ちゃんも
みんなヘンだなんて言ってないから大丈夫だよね...
これは、私だけの秘密にしておこっと...)
これが同年代の普通の女の子とはちょっと違う奈央の秘密だった。





 ちょっと物思いに耽っている間に、司の乗った電車と差を付けられていた。
(お兄ちゃんを早く追い掛けてあげないとね...)
ついに、「巨人」の奈央が歩き始めた。



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 単純に言って、「巨人」の奈央がこちらに追い付くには、
スピードの差を考えるとそんなに時間は掛からないだろう。
恐らく、こちらが南本地区に達する頃には、抜かされてるはずだ。
そして、笑顔で街の高層ビルよりも大きいことを自分に見せ付けてくるだろう...
奈央はそういうことが好きな奴だ。
(本人も自覚してんのか....?)




 それに加えて、もう一つ困ったことがある。
奈央が自らの巨大さを見せ付けてくるのは仕方ないとして、
それを受けて、自分がどういう反応すればいいのかが今だに分からない。
テキトーにあしらうのも、なんだか奈央がかわいそうで...
奈央は自分に「小人」としての役割を期待している以上、
「巨人」の巨大さに何かしらの反応を待っているはずだ。
例えば小人らしく怖がったり怯えたり逃げ惑ったり...
でも、実際にやったら演技丸出しな感じがしてしけそうだ。
答えは見つからなかったが、これまで、特に何も問題はなかった。




 だから、もしかするとこのまま何も変えない、それがベストなのかもしれない。
そう司は感じていた。
(おっとカーブが近付いてやがる。ブレーキ、ブレーキっと...)
この先にある長いカーブの入り口が見えたので、司は少しだけブレーキを掛けて、列車のスピードを落とした。




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 一方、奈央は線路の近くを並走している「巨人用歩道」を歩き始めていた。
この「巨人用歩道」は「小人」からすれば、
片側6車線、長さにして約20メートルはどこでも常に確保されているアメリカンサイズの大きな道路だが、
「巨人」の奈央にしてみればそれぞれ、片足がギリギリ入る幅でしかない。
そして、もうすでに前を行く司が運転する電車を視界に捉らえていた。
(ちび兄ちゃんの電車ってほんと遅いんだから...
 私が手加減しなかったら、あっという間に追い越しちゃいそう...)
司の電車も性能と安全性を考慮した中でのフルスピードで走行しているのだろうが、
それでも奈央の歩くスピードからしたら遅すぎる。
奈央の足元にあるマンションも奈央と比較したら踏み潰されそうなくらい小さい。
が、一応このマンションとて14階建てと小さくはないのだ。



 真に「箱庭」のバランスを崩しているのは奈央の方なのだ!



 (今、この世界で一番大きいのはこの私なんだから...)
これを暗示のように何度も頭の中で繰り返すだけで、胸のドキドキは増幅する。
奈央は「ゆっくり」と時速300キロで歩いて、背後から司にずんずんと迫りつつあった...





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 ズドーンズドーン...


 不気味な音がしてきた。
じわりじわりと背後から巨大妹が迫ってくるのが分かる。
気になるので背後を振り返った。
視界に巨大な奈央の姿がまず入ってきた。
しかも無邪気な笑顔で。
こんなたわいもないことなのに、本当に楽しそうだ。
だが、その笑顔の裏側で、何か良からぬ企みを考えているのではないかと不安になってくる。
企みといっても奈央本人にすればかわいいいたずらのつもりなんだろうけど....




 先ほどの大きなカーブを通過したところで、正面に南本地区の街並みが視界に入ってきた。
「箱庭」の中では数少ないビルやマンションなどの高い建物が密接してある地区だ。
遠くからでもその形状が分かる。
考え方を変えれば、このあたりは奈央が一番大きく見える場所でもある。
比較対象の建物が多いからだ。





 実に変な話だが、特撮映画に出てくる巨大怪獣なんかよりも奈央の方が巨大なのだ。
小学生の頃からそういった映画を好き好んで見たことはなかった。
そんな光景を幼い時から毎日のように、目の当たりにしてきた司にとっては、映画の怪獣が実にしょぼく見えたからだ。
破壊光線や火炎放射こそしないが、奈央の方が怪獣の2倍以上はデカい。
奈央が「箱庭」の中をズシーンズシーンと歩き回る方がよっぽど迫力があった。
しかも奈央は司が「かいじゅーだー」とか「きょじんだー」なんて言っても嫌がるどころか、反対に喜んだりするぐらいだった。
(へんなやつー...)
当時の司はそういう感想を持っていた。
それは年月が経過した今でもあまり変わってはいなかった...



<つづく>

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