#################### 1.  「これだから冬場はイヤなんだよ...」 はぁと深い息を出して少年は呟いた。 吐き出された息はこの寒さで瞬時に白くなる。 ここ北海道を始めとして、寒さが厳しい北日本特有の二重構造になってる住宅の玄関。 この家に住む山口一家の長男:英治がその外側のドアを開けるとそこはマイナス15度の極寒の世界。 前日の澄み渡るような冬晴れの天気は翌日の朝に放射冷却をもたらしていた。 一度風が吹けば、今まで体に纏っていたぬくぬくとした暖気が一気に吹き飛ばされ、 正面から全身に突き刺さるような冷たさが厚手のコートを貫いて英治を襲う。 産まれた時からずっとこの寒さ厳しい北の大地で暮らしている割りには、英治は寒さがかなり苦手だった。 英治は北海道生まれなのと寒さが苦手なのは関係ないといつも言い張っている。 というわけなので、冬場には何枚も重ね着してカイロも装備しないと外出なんてとんでもないというタイプなのだ。  寒い北海道の中でもとりわけ内陸部に位置するこの奥別町は「しばれる」寒さで全国的にも有名だ。 「あー寒い寒い寒い...」 呪い言のようにぶつぶつと寒さを訴える。 こんなにも寒いと本気で呪いたくもなってくる。 (とっと春になってくれよ...冬将軍死にやがれ...) 北からやってくる将軍様、今年は特に強い。 とにもかくにも冬は英治にとって不倶戴天の敵であった。 とは言え、今はまだ12月...それも上旬。 寒さはこれから年末年始、年を越してからまた一段と厳しくなる。 待ち遠しい雪解けの暖かな春が訪れるのはまだまだ先のことだ。  そして最近になってもう一つ...彼に悩みのタネが増えた。 それもとびきり大きなやつだ...  「兄貴、早くしないと置いてくよ?」 外に出た英治をいたずらっぽい笑顔で待ち構えていたのは、通学に備えて10倍に巨大化した英治の一つ下の妹の莉奈だった... なぜ彼女が巨大化しているのか... それを順を追って話していくことにしよう。 *  蝦広高校校則第十二条 「通学手段は徒歩、自転車、バス、鉄道に限り、バイク、自動車通学は認めない。 なお許可を得た者に限り、巨大化通学を認める(※ただし女子に限る)」 ただイケではなくただ女子... それは巨大化通学に関する一風変わった制限であった。 *  話は変わり。 英治の妹の莉奈は今年の春から英治の通う蝦広高校に入学した。 蝦広高校...通称「エビ高」... 奥別町の隣の蝦広市にある道立高校だ。 (学食には蝦広名物でお馴染みのエビフライ丼がある。これ豆知識な) 奥別や蝦広を含めたこの地域では一番評判のいい学校だ。 英治は中学からそれなりに成績がよく、その甲斐あってエビ高に合格することが出来た。 そしてそれから一年経った今年、莉奈も兄の後を追うかのように入ってきた。 莉奈もまた英治に負けず劣らずの成績だったからだ。 (まぁしょうがないよな...莉奈の成績考えたら他に選択肢がないんだから...) 英治も莉奈が自分と同じ高校に進むこと自体はイヤではなく、むしろうれしいくらいだった。  ただ英治には一つの懸念があった。 この町...に限ったことではないが、あの制度が導入されている地域の女の子の誰もが中学から高校に進学するときに与えられる選択肢... その一つを莉奈が選ぶのではないかという懸念だ。 (オレの周りじゃ筒井も藤田も高橋も選んだからな... 莉奈だってアレを選ぶ可能性は低くないんだよな...) 英治としては莉奈がその制度を利用してほしくはなかった。 しかしその英治の希望に反して、莉奈がそれを選ぶことはかなり濃厚だった。 現在の事実を一つ一つ計算に入れていく度にその可能性が高まる。 だが、莉奈があえて違う選択をするのではないかという微かな希望を英治は持っていた。  そして結果的に... 彼の微かな希望は莉奈によってあっさりと踏み潰されたのであった。 *  それは莉奈が高校に受かった日の夜のこと。 莉奈の合格を祝い、同居している祖父母も含めて家族みんなですき焼き鍋を囲んでいる時、父親が莉奈に聞いたのだ。 「ところで莉奈は高校までどうやって行くつもりなんだ?」 「ん〜やっぱり巨大化通学かな〜。 先輩とか友達に聞いてもそうするって子が多いから...」 これが英治の微かな希望が踏み潰された瞬間のことである。 もう一年近く前のことではあるが、その瞬間口にしてたのは白ネギだったなんて 余計なことまで今でも鮮明に覚えている。 それほどのショックだった。  「やっぱりそうなるか。 列車通学だと時間の都合もあるし、英治みたいに高校まで自転車通学をさせる訳にはいかないからな... ところで英治、列車通学はどうなんだ?」 冬場だけは列車通学にしている英治に話題が振られた。 しかし僅かな希望の光が閉ざされちょっとした放心状態になっていた。 はっ、と気づいて「えっ...あーやっぱり面倒くさいな...列車の待ち時間とかうざいから」 慌てて取り繕った内容を口にする。 「そうか...雪がない時は自転車にしてるくらいだからな...」 「なんか一応、巨大化通学するにはね〜手続きをしないといけないみたいだけど、大したことはないって誰かが言ってた」 「ならそれでよさそうだな。莉奈、歩いていくことになるが大丈夫だな?」 「うん、30分くらいだからへーきへーき」  というような感じで、英治が反対する間もなく事は全て決まってしまった。 事前の予想通りで彼にとっては最悪な形で。 もっとも反対しようにも、そのありえる理由が兄としてのプライドとか兄妹間の力関係という英治の自己都合的なものでしかなかったからだ。 そのために英治が表だって強く反対することも出来ず、一方で積極的に賛成することもなかったが、 彼らの両親が通学時間や経済的事情などを総合的に判断した結果、実にあっさりと承認された。 (そりゃ巨大化する機械が毎月1500円で借りられるなら安いよな...オレの定期代よりもかなり安いだから...) 巨大化通学は家計にもやさしかった。 *  そして莉奈は高校に通学する時は必ずこうして巨大化している。 「巨大化通学」という一部の女子生徒にだけ認められる通学方法なのだ。  英治も雪のない春から秋にかけての時期は体力強化も兼ねて、学校まで自転車で通学しているが、 積雪のある冬場は自転車通学は不可能となるので、こうして巨大化した莉奈にくっついて登校している 。 (そりゃラクちゃっラクなんだけど...)  「アニキ、早くしてよ」 「わかってるって...」 さっきから寒空の元、英治を待っている莉奈が急かす。 差し出された莉奈の手のひらに登り、後は莉奈任せだ。 こちらは学校のグラウンドに降ろされるまで何もしなくていい。 片道20キロを一時間、自転車漕いでいくのとくらべりゃ屁のようなラクさだ。  手に乗ったところで、ふと顔を上げると何か嫌な予感がした。 眼前には巨大な妹の顔。 そして何かを企んでいるような顔付き。 やばい。 と、思ったところで空中に浮かぶ巨大な妹の手のひらから逃げることは不可能だ。  「兄貴、寒そうだね〜♪暖かくしてやる〜」 お腹の底から出した歯磨き粉の匂いを伴った真っ白な熱い息を吹きかけられた。 リナードンのホワイトブレス!!! こうかは ばつぐんだ  「どう?兄貴、あったかくなった?」 莉奈は目の前で妙に楽しそうにしている。 そうか、なるほど。 お兄ちゃん思いのかわいい妹の他愛のないイタズラか....  な〜んて許せるはずがない。 前に一回、前日の夕飯が餃子だった時、同じように強烈なニンニクブレスを吹きかけられた。 キレイに歯を磨いたとしても翌日に残っているのをアイツは忘れていたわけだ。 あの時は教室に入って友人と会話した瞬間に「昨日、餃子食ったか?」なんて聞かれる始末であった。 だが、しかし。こんな凍えそうな季節に莉奈の手のひらで何をどうこう言ってる余裕などなく、 基本的には害のないイタズラ(本人曰わく暖めてあげようという善意によるものらしい)なので怒りを見せることなく、黙っておく。 復讐は家に帰ってきてからにしよう。 (覚えてろよ、莉奈め...)  「む...無反応だと...かわいい妹をないがしろにするなんて悪い兄貴だ...」 莉奈が何かぶつくさと文句を言っているようだったがそれは無視しておく。 口元はマフラーで覆っているため、腕のジェスチャーで早くポケットに入れろと要求する。 外気に触れていると寒くて仕方がないのだ。 *  英治の指定席は莉奈の制服の左ポケット。 手のひらに乗った後、全身を握られてここに入れられる。 そしてポケットの中で莉奈のタオルハンカチといつも同席する。 持ち主の莉奈と同じく巨大化したタオル地と制服の生地に挟まれ揉まれて朝の一時を過ごす。 眠い時はうつらうつら浅い眠りに落ちることだって出来る ポケットの中は意外と温まるのだ。 コートがあるおかげで外気が進入できないようになっているからであろう。  そういえば英治の指定席をどこにするかで散々揉めたのだ。 コートのポケットは外気に晒されやすく寒いし、かといって暖かそうな内側がいいと言っても、 思春期の妹の体に服一枚差の場所に密着するのも少々問題がある。 で、結局今の場所に落ち着いたのだ。  こうして莉奈のポケットに入ってからというもの、あまりの楽チンさに驚いた。 が、やはり巨大化した妹のポケットに入るというのは心情的に複雑だ。 (人間、楽をしたらだめだよな...でも、自転車に比べると....) と思っていたら、眠気が襲ってきた。 昨日、夜遅くまでついついネットサーフィンをしてしまったからだ... (いやいや。やっぱり楽できるときには楽をしておかないと...) 人間の決心と言うのは、案外、脆いものである。 早くももう眠気に負けた英治は再び夢の世界に戻っていた。  巨大化した莉奈にくっついて通学するようになって、大体一月が過ぎた。 初めは渋々だったが今となっては慣れてきたせいか少し楽しくなってきた。 そう。思っていたよりも意外と楽しい。 でも、英治はこの楽しさを簡単には認めたくなかった。