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入学式アフター  〜その2〜



 学校で孝司と別れ、徒歩で都心へと向かうことにしている二人。
無論、普通に歩いていくのではなく、巨大化してではあるが。
別に、孝司が運転する車に同乗しても何ら不都合はなかった。
だが、真紀があえてそうすることを選択しなかった。
その理由は至って簡単。
これから先、毎日、学校に登下校する際に巨大化する唯とは違って、普段、保護者である真紀はあまり巨大化する機会はない。
それこそ、今日のように何か特別な行事の日や緊急時に限られる。



 という訳で、折角の機会なのでもう一度、巨大化を堪能しておこうという魂胆なのであった。
巨大化通学という制度を利用することを選んだのも、唯の通学の利便性を考えてというのが、もちろん第一の理由であった。
ただ真紀は、保護者も条件付きではあるが巨大化できるという点に目を付けた。
生来、そういう願望があったわけではない。
何となく、そう滅多には体験できなさそうなことに魅力を感じたのだ。



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 今も女性としてはかなりの長身であるが、真紀は子供の頃からずっと背が高かった。
それこそ小学生の頃は、自分よりも背の低い同級生の男子に背の大きさを揶揄されて、嫌な思いもした。
だが、中学校に入ってからは、事情が変わった。
バレーボールで自分の長身を武器として生かして、活躍することができたからだ。
さほど強豪でもなかったこともあり、部員の中でも一番背が高かった真紀はエースとして君臨していた。
すると、いつの間にか自分の高い身長に対するコンプレックスは自然と薄れていった。
背の高い自分がそれを不必要に意識することにない夫と結婚できたのも、ある意味、幸運だった。
高いヒール付きのオシャレな靴を特に気にすることもなく履くことができるのは小さな幸せだ。
今では、自分の背の高さとスタイルの良さは密かな自信であり、誇りでもある。



 そして、巨大化して、東京の街を悠然と闊歩する姿を想像してみた。
ときたま、ファッション誌で見かけるような、巨大な女性モデルが都会を颯爽と歩く広告を脳裏に思い浮かべてみた。
もちろんそういった広告の写真は、現実に巨大化して撮影されたわけではなく、合成画像だが。
それを自分に置き換えてみる。
さほど悪い気はしなかった。
雑然とした東京の街並みを見下ろして、自由に歩いてみたい。
真紀の中に、小さな、しかし壮大な野望が生まれた瞬間であった。



 もちろん当事者となる唯には、巨大化通学についてはしっかりと説明してあげた。
彼女が嫌がれば、すっぱりと諦めるつもりではいた。
娘の協力無くしては、絶対に成し得ない野望であった。
しかし、幸か不幸か。
唯も巨大化通学に対して、前向きな返事をした。
彼女自身が、自宅から電車を乗り継いで、遠回りの経路で時間を掛けて通学するよりも、巨大化して歩いていくことを選んだのだ。
こうして結果的には、娘の選択を尊重するという形で、真紀の密かな野望は達成されることとなった。
それに、ちょうどその頃、孝司の仕事が想像以上に多忙となった。
それ故に、孝司は唯の進学手続きに関われなくなり、真紀に一任してくれたこともプラスになった。
普通の夫婦なら、手伝ってくれないことを理由に文句を言うところだが、事後承諾だけで物事を進められるようになり、むしろ感謝したいくらいだった。
家族の承諾も無事に取り、やや不安だった申請手続きもすんなりと完了させることができた。
巨大化通学について、孝司に説明する頃にはもうすべての手続きは完了していた。
後、残す山場は、巨大化通学の許可が降りるかどうかだった。
もし仮に申請が通らなかったら、と心配になったこともあったが、幸いにもそれは杞憂で済んでくれた。
巨大化通学の許可証が自宅に届いた時は、心の中で小さくガッツポーズをしたほどだった。



 こうして、今日、めでたく希望通りの晴れの日を迎えることが出来た。
唯の楽しそうにしている姿を見ると、真紀は自分の選択は間違っていなかったと思えた。
そして何より。
自分自身の中に芽生えた野望を早くも叶えることができ、満足感に浸っていたのだった。



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 「それじゃ唯、先に巨大化してなさい」
「はーい」
唯はグラウンドの中に入り、巨大化しても安全な人気の少ない方へと歩いていった。
そこで、唯は近くに他の生徒がいないかを再度、確認してから巨大化を始めた。



 唯の体がみるみるうちに大きくなっていくにつれ、グラウンドでクラブ活動していた生徒たちは近くで起こっている異変に気づいた。
巨大化していく唯の姿を見るや否や、皆一様に驚いた顔をし、慌てふためいてグラウンドの隅に逃げていった。
目の前に、突然、高層ビルのような巨人が現れたら当然、パニックにもなる。
幸い、彼女の体が元の100倍の大きさになる頃には、近くにいた生徒は皆、唯から距離を置いた安全な場所に避難できていた。
唯の巨大化が完了したのを見届けてから、真紀も同じく巨大化を始める。
避難した生徒の中には朝の騒動を知っている者もいたのか、口々に唯たちの事を話しつつ、彼女たちの姿を興味深そうに見上げていた。



 あれだけ広々としたグラウンドも巨大化した唯と真紀が並び立つとさほど余裕がなかった。
何せ25メートルプールと同じ大きさはあろうかという巨大な靴が合計4つ、いきなり現れたのだ。
もちろん巨大なのは靴だけではない。
靴からは、ビルほどの太さがありそうな脚が真っすぐ伸びている。
さらにその上には、同じ倍率で巨大化した上半身が空間を占めている。
広々としたグラウンドもこうして巨人が二人並び立つと窮屈に感じられる。
「あまり長居しているとグラウンド占領しちゃって、他の子達に迷惑掛けちゃうから早く出ていかないとね」
真紀は足元にいる子供たちの姿を見て、ここから早く立ち去ったほうがいいと判断した。
「そうだね。みんなの邪魔しちゃうと悪いし……あと怖がらせちゃうのもなんだしね……」
もう二人とも自分たちの大きさを自覚していた。



 まずは唯から、続いて真紀がグラウンドから立ち去って行った。
二人ともグラウンドの北に隣接する道路と四階建ての立派な校舎を軽く、一跨ぎにしていった。
その場にいた全員が思わず息を飲んでしまうほど、豪快な光景だった。
皆、巨人の姿が見えなくなるまで、固唾を飲んで見守っていた。
車を動かそうとグラウンド近くの駐車場にいた孝司も半ば、唖然とした表情で2人の姿を見上げていた。


 そして、巨人の母娘が立ち去った後のグラウンドには、深さ1メートルはあろうかという巨大な靴型が至る所にしっかりと残されていた。



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 学校を早々に後にし、都心方面へと向かう二人。
今朝、歩いてきた幹線道路を反対方向に進めば、都心に出ることが出来る。
学校から自宅へ帰る時も同じ方向になる。
ただ、朝もそうだったのだが、その幹線道路と学校の間を歩くのが少し厄介なのだ。



 聖陵中学校周辺は、都会の喧騒から少し離れた閑静な住宅街が広がっている。
この辺りは近隣でも有名な文教地区で、住宅地としても都内でも人気の高い地区だ。
さらに最寄り駅から徒歩10分程度の距離ということもあって、利便性も高く、その人気に拍車をかけている。
そして、聖陵中学校の北、およそ500メートルのところを件の幹線道路が走っている。
住宅街一帯からこの幹線道路へと通じる道路はいくつかあるが、いずれも近隣住民のための生活道路である。
それ故に、この辺りの道路の道幅は広いものでもなんとか車同士がすれ違って、走行できるほどの道幅しかない。
これでも、生活道路としては十分なゆとりがあるのだが、唯たちのように100倍に巨大化した人間が歩くにはとても狭い。
言ってしまえば、おおよそ彼女たちの靴の幅と道路の幅に大差はない。
家と家同士が向かい合っている狭い路地に、両足を交互に、そして慎重に一歩ずつ置いていくような感じで歩いていかなければならない。
普通に両足を地面につけて真っ直ぐ立つことですら、ミニチュアのように小さな建物が広がるこの場所では、大変難しい。



 歩きにくいこの場所を早く抜け出したいのは山々だが、焦ってしまい、道路以外の場所に足を振りおろしてしまっては元も子もない。
足元に広がるのは、一面、靴の大きさと変わりがないほどの小ささの戸建住宅。
文字通り、一歩間違えれば家を踏み潰してしまう大惨事を引き起こしてしまうのである。
さすがにここでは二人ともゆっくりゆっくりと足を慎重に動かして歩いていく。
「足元よく見なさいよ。ここが一番危ないところなんだから」
真紀が唯に注意を促す。
もちろん危ないのは、彼女たちよりも足元の住宅街の方なのだが……
慣れない足取りになりながらも、何とか無事に狭い住宅街の道路を抜けることができた。



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 巨大化した唯たちが聖陵中学校から立ち去ろうとし始めた頃。
学校近辺の住民たちは皆、怖いもの見たさで、家の外には身を出さず、窓のガラス越しに恐る恐る巨人たちの姿を見上げていた。
閑静な住宅地に突如出現した巨大な2つの人影。
まだどこか幼さが残る少女の方は、身に付けている制服から近くの聖陵中学校の生徒だと分かる。
身に纏っている真新しい制服からして、この春からすぐ近くの聖陵に通うことになった新入生だろう。
さすが名門・聖陵中の生徒だけあって、面影に幼さが残る一方で聡明さも感じさせる少女だった。
制服同様に真新しい黒のローファー。
巨人の少女が履いているその靴は、そこらへんにある家一軒を軽く踏み潰せそうなほどに巨大である。
地上に接地した靴の側面の高さは家並みを優に超えるほどであった。
巨人たちが歩く道から離れた場所からでもしっかりと靴の大きさを把握することが出来るほどだった。
「足元にも及ばない」というのはまさにこのことか。
こう実感した住民も存在した。



 そして、もう一人の巨人の女性はその見た目からして、少女の母親だろう。
巨大な少女と比較して、さらに頭一つ分は背が高い。
スーツを綺麗に着飾った服装からして、娘の入学式に付き添いできたのだろうと彼らは各々推測した。
やや高さのあるヒール付きの上品なパンプス。
こちらも同じく家の大きさよりも明らかに大きい。
少女のローファーと比べて、高いヒールが付いている分、さらに大きく見える。
巨大なパンプスから上空に向かって伸びるは黒い塔。
黒のストッキングに包まれた大人の女性らしいスラっとした脚がこれまた艶かしい。
住民たちは、何が起きているのか分からないまま、ただ呆然と目の前を横切っていく巨人の母娘を目で追っていた。
彼らは、これから毎日のように超高層ビルと肩を並べるくらいの巨大な少女が、自分たちが住んでいるところを悠然と歩く姿を見せつけられるのだ。



 そして偶然にも、この地域の住民の中に「巨大化通学」を知る者がいた。
元・役所勤めだった彼は、かつての職場の風のウワサでそのような制度があることを聞いたことがあった。
しかし、そんな奇想天外な話を耳にしたその当時は、信じることはなかった。
生身の人間が怪獣のように巨大化するなんて、そんな馬鹿な話があるかと……
そして、それから数年後、信じるどころから現実の出来事として目の当たりにすることとなったのだ。



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 住宅街を軽く跨ぎ越していった二人は郊外と都心方面を結ぶ大きな幹線道路上を歩いていた。
「私達が歩きづらいように道路の幅がこんなにも狭いから、東京の道路は渋滞ばっかなのよ……」
真紀はブツクサと文句を言っていた。
学校周辺の住宅街の細い路地とは違って、幹線道路であるこの道は、道幅が広く取られ、トレーラーやバスのような大型車でも並んで走れるように造られている。
歩道だって、街路樹が植えられてきれいにしっかりと整備されている。
だが、しかし。いくら道幅の広い幹線道路とは言え、それでもまだ巨大な二人が歩くには余裕があるとは言えない。
丁度、片側二車線づつある車道のうち、中央分離帯を挟んで上り車線が左足、下り車線が右足にそれぞれ占領されていた。
道路沿いの建物もミニチュアのように小さいため、2人からすると車道を歩いているつもりがうっかり建物を踏み潰してしまいそうになっている。
「私達が歩きやすいようなもっと広い道路になれば、渋滞も減って車を使う人にとっても快適に走れるようになると思うのだけど……?」
「確かに歩きにくいね……」
唯も真紀の意見に同調する。
道路と平行して立ち並ぶ建物を踏み潰さないようにしているが、それだけで、今は精一杯である。
道路上にある虫のように小さな自動車には目もくれずにずんずんと歩いていく。
「今度、お母さんがお役所の人に言っておくから。道幅を広げて、もう少し歩きやすいようにしてくださいって」
「出来るかなー?出来たらいいけど」
「大丈夫、お母さんに任せて。こちらから話をして偉い人に頼めば、少し時間掛かるかもしれないけれども、きっと歩きやすいようにしてくれるはずよ。
 そうね……唯が高校に上がるくらいには、多分、広くなってるんじゃないかしら」
何か考えがあるのか真紀は何やら自信あり気味に言った。
「それでも大分先になりそう」
「仕方ないわよ、すぐに出来るんだったら、この春からでもやってもらわないと困ることだし、そこはね。しばらくこっちが我慢しないと」



 実際のところ、こうして二人が道路を歩いているとその巨大な靴の下で色々、踏み潰してしまっている。
それでも、彼女たちは道端に落ちていた小石やゴミを踏んだ程度にしか思っていない。
なにせ彼女たちの視界からでは、地上にいる人間などゴマ粒ほどの小ささでしかない。
目をよく凝らして足元を見ても、せいぜい男か女かが何となく服装で見分けが付く程度でしかなかった。
道路上を走っていた自動車は、人間よりも幾分、大きいためにまだ判別が付きやすかったものの、
それでも彼女たちが履いている靴と比較すれば、まるでおもちゃのミニカーのようにしか見えなかった。
「おっきくなったって言うけど、なんか小人の街を歩いているみたいだよね……」
「そうね。巨大化すると見えてくる景色は全然、違うけれども、こっちとしては『巨大化した』っていう実感は薄いものね。まるで小人の国にやってきたガリバーになったみたいだわ」



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 ともすると、まるで、2人ともずっと以前から巨人だったような振る舞いである。
そう。確かにこれは事実として、2人は通常の100倍の大きさに巨大化している。
しかし、人間の感覚というものは、実にあやふやなもの。
実際のところ、彼女たちからすれば自分たち自身が巨大化しているという感覚は、非常に薄いのだ。
自分達が巨大化したのではなく、周りの世界全体が小さくなってしまった。
あるいは、ありとあらゆるものが一様に小さく存在している「小人の国」にやってきたというような錯覚に囚われているのだ。
それが例え、今まで自分たちが暮らしてきた場所であったとしても変わらない……



 いずれにせよ、彼女たちは見上げるような巨人である。
2人のモノの大きさの感覚が惑わされていたとしても、それは絶対的な事実である。
「でも、ガリバーってそんなに大きかったけ?」
「さぁ、どうかしらねぇ。ただ小人の国を訪れたっていうイメージしかないもんね。それにしても今から思うと、あそこにあったミニチュアの街は良く出来てたわね……」
「うん、あれ、すごかったよね。どっちが本物の街か分からないくらいリアルで、あっちこそ本物の小人の国みたいだったね」
2人は、先日のある体験を思い出していた。



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 これまた孝司には知らせていなかったことなのだが、実は、2人は巨大化通学のための特別な講習を先の春休みの間に受けていた。
この講習というのがまたユニークなものだったのだ。
掻い摘んで説明すると、こうだ。
およそ体育館ほどの広さの空間に、1/100スケールのミニチュアの街並みが用意されていて、その中を歩くことで擬似的に巨大化した状態を体験するというものだった。
講習ということもあって、本番さながらに巨大化したわけではなかったのだが、そのミニチュアセットの出来栄えが実際の街並みと瓜二つで、「擬似的巨大化感」を味わうには十分なシロモノだった。
その時の体験と今の状況を重ねているため、二人は実際に巨大化しているにもかかわらず、小人の国にやってきた気分になっているのである。
と、その時の詳しい話はまた別の機会に語られるとして……




<つづく…>

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