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入学式  〜その後のその1〜



 巨大化して学校まで歩いてきた唯と真紀が起こした一騒動も2人が元の大きさに戻ったことで、一旦は収束した。
さすがに巨大化した状態で、入学式に参加することはなかったので、孝司は少しばかりホッとした。



 その後、聖陵中学校では校舎に隣接する大講堂で入学式が執り行われた。
予定されていた時間通りに始まった式典では、まずは理事長を皮切りに新入生に対する入学祝いの挨拶があった。
そして、その後は校長先生、PTA会長、後援会代表、新入生代表、在校生代表……
などなどと様々な立場の人達の挨拶が立ち替わり入れ替わりずっと続いていく。
ただやはり、どの挨拶も長く、そしてどこかで聞いたことのあるような内容ばかりで新鮮味に乏しい。
式典らしいといえば式典らしいのだが、昔から孝司はどうもこういった堅苦しい式典の場が苦手だった。
式の間もずっと早く終わってくれないかとばかり考えていた。
(まぁ、こんなところでド派手なイベントとかあっても困るのだけど……)
自分の妻子が入学式の会場にド派手な方法でやってきたことは棚に上げた感想だった。
その後も校歌を歌ったりと実に平凡な式典が何事もなく終わった。



 ただし、この後で何も特別なことが必ずしもいいとは限らず、平凡で普通でいつもどおりである方がいいとまたしても孝司は深く思い知ることになったのだが。



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 入学式が終了したその後、新入生達は所属するクラスごとに各々教室に移動する。
そこでこれから迎える新しい学校生活に慣れるために、まずは簡単なオリエンテーションを行う。
こうして新入生は記念すべき中学校生活の最初の1日を終えることになっていた。
と、このように入学式とそれに続く行事自体は何事もなく無事に終了した。
実のところ、これは嵐の前の静けさでしかなかった。



 今日の全ての日程が終了する予定時刻を迎える頃。
学校の正門前には子供たちが校舎から出て来るのを待っている保護者で混みあっていた。
その中に娘を待つ孝司と真紀の姿もあった。
しばらくすると、記念すべき中学校生活第一日目を終えた新入生が校舎からわらわらと出てきた。
大勢の新入生の中から唯を見付けて、手を振ってこちらの位置を知らせた。
唯は笑顔を見せて、こちらに駆け寄ってきた。
初日から早くも友達ができたのかもしれない。
聖陵中学校は中高一貫校なので、中学に入学した生徒たちはそのままエスカレーター式で聖陵高校に進学することになっている。
となると、これから高校を卒業するまでの10代の大切な6年間を一緒に過ごすことになる友達は非常に大切だ。
親としても、唯の大切な財産となるような素晴らしい交友関係を築いて欲しいところだ。
またそういった話はおいおい聞かせてもらおう……
唯と合流し、三人は学校のグラウンドの方へと歩いていく。



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 入学式のため授業が行われない今日も、部活動のために登校している運動部の生徒たちが大勢、グラウンドで練習に励んでいた。
この聖陵中学・高校は学習面だけでなく、部活動も盛んであることを孝司は思い出した。
中には、全国大会常連の部活動もあるとかで、学校側も大いに力を入れているようだ。
野球部、サッカー部や陸上部に所属している生徒たちがそれぞれ同時に練習しても、まだグラウンドにはスペースの余裕があった。
都内でもやや郊外に立地し、広大な敷地面積を誇るこの学校の売りでもある。
なので、これだけ広い場所なら唯たちが巨大化しても大丈夫なはずだ。
少なくとも唯が巨大化すると25メートルプール一面分の土地を足の下敷きにしてしまう。
それが両方の足について言えるので、単純に二倍分の土地が使えなくなる。
それだけではなく、足元付近も危険なため使用することができなくなる。
こんな感じで、周囲に気をつけて巨大化しないと他の生徒達の迷惑になってしまう。
自分は聞かされてないけれども、学校側は唯の巨大化通学に関しての所々の事情は把握していることだろう……いや、してるはずである。
そうでなければ、こんな突拍子も無い通学方法が認められるはずがない。
そこらへんのことはうまく取り計らってくれてるはずだ。
と、信じたいところなのだが、曖昧な真紀の説明だけではやはり不安は拭えない。



 さて。
なぜグラウンドまでやってきたかと言うと……
もちろんここで真紀と唯が巨大化するためである……とのこと。
孝司は巨大化通学の詳細を含めて、今日を含めてこれからのことはほとんど聞かされていなかったので、まだよくわかってはいない。
行きだけ巨大化して、帰りは電車で帰宅するというわけにも行かないので、当然、この流れになる。
つまり、朝の登校時には、先程のように巨大化した状態で校舎南側に広がるこのグラウンドまでやってきて、そこで元の大きさに戻る。
そして、下校時には、逆にグラウンドで巨大化する取り決めになっているようだ。
「いい?帰る時はここで巨大化するのよ」
「分かってるよ、それくらい。だって、この前説明受けたばっかだから……」
「なら、いいけど」
真紀は幾分、不安そうな表情を浮かべていた。
「唯ももう中学生なんだし、そんなに心配しなくても大丈夫だって……なっ?」
「そうそう、お母さんもそんなに心配しなくてもいいのに」
孝司からすると、日頃から唯はしっかりとした娘に見えていた。
唯も大きくなって(年齢的な意味で)、もう親があれこれ口を出すことがらも少なくなってきた。
自分が唯と同じ年頃の時にこんなにもしっかりとしていたかといえば、さほど自信はない。
思い返してみれば、中学校に入ったばかりの頃はまだまだ子供だった気がする。
同い年でも男の子の方が精神的には幼さが残るとか言われているのも頷ける。
この年頃の女の子の大人びた感じは独特なのだ。
唯がまっすぐ成長してくれて、父親として誇らしくもある。
「まぁ、いいわ。とにかく巨大化するときは周りに注意しなさいよ」
「はーい」
唯が素直に返事をした。



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 それはいい。
だが、今日はこのまままっすぐ帰宅するという予定ではない。
と言うのも、今日は唯の中学入学を祝ってあげようということで、この後、都心のレストランで食事をしようと予定を立てているのだ。
あらかじめ、どこかいい店がないか事前に調べて、見つけ出してもうすでにちゃんと予約してある。
予算的にも結構、奮発する予定だ。
今から向かえば、それなりに時間の余裕もある。
だから、ここから三人で車に乗って移動しようと俺は思っていたのだが……
どうやら真紀の予定ではそうではなかったらしい。
「おいおい……車で一緒に移動するんじゃなかったのかよ」
「えっ?私たちはここから歩いていこうと考えていたけど……」
「その……ここから都心まで……だよな?」
「そうよ?」
真紀はそれが当たり前だと言わんばかりの返事をする。
そもそも彼女はは考司が疑問を持っていること自体に疑問を持っているようだ。
こうなる前に、前もっとちゃんと真紀に確認しておけばよかったと後悔する。
そうすれば少なくとも今みたいに直前になって、知って驚いて焦ったりすることもなかったはずだ。
だからと言って、何か事態が変わるということもなかったのだろうけれども。



 「いや、都心まで歩いていくとなると定められた通学経路から外れることになるし、そうなった場合でも、巨大化した状態で道を通行しても大丈夫かと思ってな」
「別に、あらかじめ通学経路とかは定められていないのよ。それに、元々の巨大化通学の許可さえあれば、どこを歩いても問題ないと言われているわ」
「そ、そうか。なら、いいんだ。そう言われたのなら仕方ないよな……」
以外にも、巨大化通学時の経路は定められていなかった。
巨大化した人間が歩くだけで、あれだけの騒動を引き起こす訳だから、てっきり厳格なルールがあるに決まっていると思っていた。
だが、どうやら実態はそうではないらしい。
真紀の言葉をそのまま信用するならば、思った以上にとんでもない制度のようだ。
(いいのか、それで……?)
大いに疑問が芽生えてきたが、ルールがそうなっている以上、どうしようもない。
とすると、通学時以外に巨大化してはならない、ということでもなさそうだ。
「だから、あなたは車で追いかけてきてね」
「お、おう。分かった……」



 言い訳じみた言い方になってしまうが、何分、唯の受験終了と同時に春先にかけて、自分の仕事が突然、忙しくなっていた。
そのせいで、唯の中学受験終了後の手続き等は一切合切、全部、真紀に任せきりになっていた。
「大丈夫、私に任せておいて」と言ってくれたことも後押しする要因だった。
そういうことをそつなくこなしてくれた彼女には、感謝しなければならない。
だが、いかんせん任せすぎたようだ。
なので、今日初めて知ることも多くて、まったくもって驚きの連続だ。
今日一日、いや午前中の出来事を思い起こすだけでも、心臓が縮こまって寿命が何年か減った気がする。



 それはともかく。
真紀の言うとおりなら、東京近郊に位置するここから都心まで巨大化した真紀と唯の二人が歩くことになる。
それこそ都心に超高層ビル並みに巨大な人間が2人も突如として出現すれば、怪獣映画さながらの大パニックになるだろう。
そうすると先程、我が家からこの学校まで来るまでの道中でも一騒動だったというのに、さらに一回りも二回りも大変な騒動になることは想像するに難くない。
(おいおい……大丈夫だよな……)
そんなことを考えていると、なんだか強烈な不安が襲ってきた。
さっきから見ていると、二人とも「歩いた」だけで足元で大騒動を引き起こしているという認識が薄いようだ。
それはまるで、普段、我々の足元で生活している小さなアリの存在など気にしていないのと同じように。
特撮映画のために造られた現実の街並みを再現したミニチュアの中を歩いているわけではない。
これはフィクションでも何でもなく、実際に、作り物ではない本物の街の中を「巨人」が歩いているのだ。
それもその見上げるような「巨人」は、自分の愛する妻と娘なのである。
「巨人」となった二人のことを考えると、二人が何だか自分からとてつもなく遠く離れていって、自分だけが取り残されてしまったような気さえ感じたのだった。



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 「えーっと、他に特に問題はないんだよな……?」
夫として父親として男として、一家の大黒柱でもある自分が妻と娘の前で焦りも戸惑いも見せるわけにはいかず、気を取りなおして平然を装う。
「大丈夫よ、唯はもちろん保護者である私もちゃんと認められているから。あ、そういえばまだ見せてなかったわよね」
「何だ?」
「一応ね、巨大化通学の許可証ってあるのよ」
真紀はバッグから財布を取り出して、何やらカードらしきものを見せてくれた。
「ほら、これが巨大化通学の証明書……というか、免許証になるのかしら?」
こんな許可証が存在することすら知らなかった。
今さらそのことを追求するのも野暮だと思い、あえて深く聞くことはしなかった。
孝司はとりあえず、許可証を真紀から受け取り、手にとって眺めてみた。
「どれどれ……」
少し厚みのあるプラスチックで出来たそのカードには「巨大化通学許可証(保護者用)」と書かれていた。
そこには真紀の顔写真付きで、本人の氏名・住所・生年月日・有効期限などの情報が記されていた。
その有効期限は唯の中学卒業する年と同じ、今から3年後の3月末。
そして右下には小さく「東京都公安委員会」という文字があった。
なるほど。これは運転免許証とよく似ている。
というか、一番上の「巨大化通学許可証(保護者用)」という名称部分以外は、ほとんど運転免許証の流用ではないだろうか……
「どう?ちゃんとした証明書でしょ?有効期間が三年間だし、唯が高校に上がるときにまた更新手続きだけはしないといけないんだけど」
ともかく、こういう許可証があるということはお上のお墨付きがあることははっきりしている。
そういう訳で、このカードが「巨大化通学」の許可証であることには間違いなさそうである。
(しかし、保護者用もちゃんと用意されてるんだな……
 やはり巨大化通学するのが未成年の子供だから、何かあった時のための保護者用も発行されるわけか……)



 「お父さん、わたしもちゃんと持ってるんだよ」
唯が下からひょっこり現れて、同じく許可証を見せてくれた。
唯のは一番上が「巨大化通学許可証(生徒用)」となっており、後の記載内容は真紀が見せてくれたものとほぼ同じだった。
生徒本人のものもしっかりと用意されているようだった。
これを見るかぎり、確かに、二人とも「巨大化通学」の正式な許可を受けていることは紛うことの出来ない事実のようだ。
「巨大化通学する児童・生徒一人につき保護者一人を登録しておけば、その保護者も巨大化が認められているって制度があるって、前に説明しなかった?」
「あぁ、悪い。この前、聞き逃していたかも知れない」
そういや、今から考えるとそんなことを前に真紀が説明してくれていた気がする。
「ちゃんと聞いておいてよね……あなたも直接的には関係ないとは言うけど、唯の父親であり保護者なんだから……」
丁度、その頃は色々、仕事でゴタゴタしてた時期で聞き流してしまって、記憶に残っていなかったのだろう。
そして普段、昼間仕事で家にいないオレをその例の保護者として登録するわけにもいかないから、
真紀を登録しておくとか、そこまで話をしてくれた記憶が今になって蘇ってきた。
(それにしても一体全体、ウチの嫁さんはどこでこんな強権を与えられたんだ...)
自分の妻と娘が巨大化して我が物顔で自由に街を歩くことが許されていることに驚き焦りを覚える。



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 あくまで、我が家はどこにでもあるごく普通の家庭だ。
先祖を辿れば日本を代表する名家に至って、実は政財界にとても顔が利いて、
人知れず通常ではあり得ないような特別な扱いがなされているとかとかそんなことは一切ない。
ただ誰も使ってない制度を見つけて、必要な書類を書いて役所に申請したら、何の問題なく認められてしまっただけだ。
逆に言えば、申請すれば誰にでも認められるということは、この話は、何も我が家だけの話ではなく、全国のどこの家庭でも起こりうることなのだ。



 とにかく。今のところは何の問題もなさそうである以上、真紀の言うことを信用するしかないようだ。
ちゃんと、こうして公的な許可証まで発行されてる訳だから、なおさらである。
「多分、私たちが歩いていく方が早く着くと思うから、お父さんは先に行っててちょうだい」
「じゃ、また後でね、お父さん」
「あぁ、気をつけてな……」
もはや、オレにはそれしか言うことが出来なかったのだった。

<つづく……>

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