数カ月前のこと、孝司は真紀から、娘の唯の中学校への通学方法についての相談を持ち掛けられた。
中学入試前のこの時点では唯が春からどの中学校に、進学するかも当然決まっていなかった。
が、唯の第一志望校である聖陵中学校は彼らが住んでいる場所から少し遠く、
またさらに中学校の最寄り駅から歩かざるを得ず、駅から中学校までの距離もあった。
普通に電車で通学すると乗り換えと通学時間の負担が大きく、それが家族共通の悩みの種だった。
これらの問題を一気に解決する方法として、真紀が孝司に提案してきたのが「巨大化通学」である。
唯が巨大化して、歩いて通学するようになれば時間も費用も掛からないし、
行き帰りの電車で痴漢に遭うこともない。
まさに、親からすれば、願ったり叶ったりの通学プランである。
メリットだらけの真紀の提案に両手を挙げて、
賛成しようとしかけた孝司だったが、ふとここで気がついた。

  「巨大化?あれか?日曜日の朝にやっている戦隊ヒーローもののクライマックスあたりで、
怪人が怪しげな薬で身長50mくらいの怪獣になるのと同じようなものか?」と孝司。
「そうよ。ただあの子が巨大化する予定の大きさは150mぐらいにはなるはずだから、
大きさは全然違うはずよ」と真紀は、孝司の問い掛けに対して、至って普通に答える。
「そうか、そうか。俺の娘が、巨大化して身長150mになるのか、ハハハ。さすがは俺の娘だ」
「あら、私の娘だからよ、ホホホ」こんな会話が夫婦間で交わされる。
ちなみに高校生の時、バスケットボール部だった孝司は182?、
同じく高校の時に元バレーボール部だった真紀は173?とこの夫婦は、かなり大柄な夫婦ではある。
こんな感じで真紀の話にうまく乗せられて、孝司は重要なことを聞くのを忘れていた。
「で、どうやってあいつは巨大化するんだよ。さっきの怪人じゃあるまいし
飲んだら巨大化する薬なんてないだろ?
それに、また元の大きさにもどらないと学校にも我が家にも入れないじゃないか。
今日はエイプリルフールじゃないぞ。寝言は寝てる時に、言ってくれ」 
「あら、そんなの全然問題じゃないわ。だって市役所に行って、
巨大化通学の申請書さえ書いて提出して認められれば、
市がビッグライトとスモールライトを貸与してくれるのよ」
随分あっさりとした手続きで済むようだ。

スモールライトだのビッグライトだのなんかの言葉が真紀の口から出てきた時には、
なんのことだかさっぱりわからなかったが、続けて真紀の話を聞くとようやく事態が飲み込めてきた。
孝司が、先程の巨大化通学に関して何の知識も持ち合わせていなかったのも無理はない。
なぜなら制度開始から三年が経ったものの巨大化通学の申請数が全国で二桁にも達していないらしい。
まぁ、国が作った制度が全く国民に浸透していない例なんかざらにある。

ただ、家やビルなどが密集する都内では、唯のケースが初めてであるようだ。
いつのまにか人間が自由に巨大化したり元の大きさに戻れるような技術が開発されていて、
あまつさえその技術を利用して、春から自分の娘が巨大化して通学することになりそうなこの現状を、孝司はなんとか理解しようとしても理解出来なかった。
それが、普通の反応だろう。
そして、唯が巨大化通学するということを深く考える間も置かずに、
孝司は「唯が賛成するなら」という曖昧な条件だけで、真紀の提案を認めてしまったのだった。 

孝司は、まさか中学生にもなった娘に対して改めて
「交差点を通る時には急に飛び出してくる自動車に気をつけてなさい」とか
「足元をよく見て歩きなさい」とか言わなければならないことになるとは、
思ってもいなかった。
ただ、今回の場合は、どちらかというと娘のことを思っての発言というか、
むしろ娘(の靴)にぶつかってしまう相手のことを、考えての話だ。
こういう風にでも言っておかないと、テレビのニュースで、
毎日のように「今朝7時頃○○市××町の交差点で、通行中の土橋唯さん(の靴)に、
交差点に進入してきた軽トラックが衝突し、軽トラックの運転手が右腕の骨を折る重傷を負いました。土橋さんに怪我はありませんでした。」なんていう一風変わったニュースが、
全国に伝わるのである。孝司は、父親として心配の種が尽きなかった。


 その後、唯は無事に聖陵中学校に合格して、今日、入学式の日を迎えた。



 入学式の日を迎えたとあって、土橋家は家族全員があわただしく家の中を歩き回っていた。
一応、入学式の準備が終わったので、孝司は、家をバックに、記念の家族写真を撮ることにした。
しかしカメラがいつも仕舞ってあるはずの場所になく、孝司は、改めて探さなくてはならなくなった。
唯と真紀はすでに、玄関に出て待っているのであまり待たせるわけにはいかない。
孝司が、二階の物置でようやくカメラを見つけて、一階に降りようとしたところ外がやたらと暗い。
さっきまでは、雲一つない快晴で眩しいくらいに日の光が部屋の中まで差し込んでいたというのに。
天気予報でも、今日一日はこの快晴が続くであろうと言う予報だった。
「急に雨でも降ってきたらやっかいだな」と思いつつ孝司は、カメラを手に玄関を出た。

 玄関を出て、庭先に出てみるとそこには真紀の姿しか見えなかった。
「おい、唯はどこに行ったんだ?」と真紀に聞くと、
真紀は「上よ」とそっけなく答えた。
「上にいるって、唯は二階にはいなかったぞ」
「違うわよ、二階じゃないわ。文字通りこの家の上にいるわ」
「ん?どういうこと...」
と視線を周囲に向けると、なぜか家を挟んで二つの家より巨大な黒い塊があって
その黒い塊からさらに白い巨大な柱が延びていた。
 
 柱は、上空で一つになっており、中学生の娘を持つ父親が見てはいけないものがそこにはあった、
数秒間、2本の巨大な柱を見上げた後
「真紀、お前唯に何をした?」
「通学用のビッグライトを当てただけよ」
「なるほどな」
そんなところで、空から大音量で
「おかーさん、おとーさんまだカメラ探してるの?おそーい」
と唯に苦情を言われた。
「で、なんでこんなことをした」
「せっかくだし、すごくおっきな唯ちゃんを入れた写真を撮ってみたかったの」
「そうかそうか」
結婚以来、真紀のとっぴょうしもない行動が多々あったが今ではもう慣れた気がする。
しかし、首が痛くなるほどに見上げなければ顔が見えない大きさの娘というのはしっくり来ない。
そんな娘を見上げる父親も世界にたった1人だけかと考えれば、それもそうか。

 ところで、唯の足元にあった近所の家々はどうなったのだろうか...

 想像するのはやめておこう...

 そんなこんなで写真撮影はなんとか終わり、孝司は先に車で学校に向かうことにした。
土橋家から学校まで車で40分、唯なら徒歩5分。
車で行くのに、歩いてくる娘より時間が掛かるのも変な話だが、それもこれも
「巨大化通学」だからこその話である。

 土橋家が住む住宅街を抜け、孝司の車は国道に出てしばらく走っていると
渋滞につかまってしまった。どうやら前方で、事故があったようだ。
事故処理にやって来た警察関係の車輌の赤色灯が、ここからでも見える。
もうすぐ,入学式で、時間があまりないというのに,ツイてない。
「このままだと、式に間に合うかどうか怪しいな。
そういや、真紀はどうやって学校まで来るんだ?
車に一緒に乗るとも言わなかったし、唯に制服のポケットに入れてもらうのか?
そうでもしないと間に合わないよな....」
よくよく思い出してみれば車に同乗しなかった真紀が、
どうやって学校まで来るのかを孝司は知らなかった。

 が、ここで一つの考えが孝司の頭に浮かんだ。
「まさか、真紀までビッグライトで巨大化して唯と一緒に歩いてくることなんて
 いくらなんでもしないよな、ははは」
一人でこうつぶやく孝司だった。



 その頃、唯と真紀の二人はというと彼女達は一緒に聖陵学園に「徒歩で」向かっていた。

 そう電車やバスを使うことなく彼女達の足だけで…
なぜなら今の彼女達にとっては公共交通機関を使うよりも歩く方が目的地に早く着くからである。

 つまり、二人は巨大化しているのだ。

 どういうわけか唯だけでなく真紀までもが
普段の100倍サイズの巨人となって街を歩いて孝司が今いる場所へ近づきつつあった。
そして今まさに渋滞中の車で溢れ出している国道に二人の巨人の母娘が姿を現した。


 「ねぇ、お母さん。今までより広い道に出たけどこれが国道なの?」
「ええ、そうよ。この道を左に行けば学校の近くに着くわ」
「国道って〜広いと思ってたけど、案外狭いし小さいね。
それに車がいっぱいだし、これじゃ歩けないよ〜。ねぇねぇ、どうしよう?」
「そうね、道が空くまでこのままここで待ってるわけにもいかないし、
他の道を探していたら入学式に間に合わなくなるから…
この際、足元の車を踏み潰してでもここを通るしかないわ」
「車踏み潰しちゃってもいいの、お母さん?
 それにせっかくお父さんに磨き方教えて貰って磨いたこの靴が汚れちゃうよ〜」
「そんなこと言って、入学式に間に合わなかったら元も子もないでしょ」
それから真紀は軽く咳払いをしてから
「今から私達がここを歩くので車ごと踏み潰されたくなければ、
各自、車から降りて逃げて下さい。お願いします」
と真紀は丁寧なお願いの形をした、
もっともその場にいた小人達にとってみれば命令でしかない言葉を口にした。


 得てして、こういういやな予感と言うものは当たることが多く
実際に、孝司の予感もご多分に漏れず当てはまったのだった。

 さて、渋滞中の車に乗っていた「小人」さんたちはというと
突如出現した二人の巨人の姿を見て驚き腰を抜かす者や
必死に車を動かそうとするも身動きが取れない者がいた。
あるいは、車から降りて慌てて走って逃げようとする者。

ただ皆に共通するのは何とかして巨人に踏み潰されないように逃げようとしていることだった。


「そろそろみんな避難できたとおもうから行きましょ」
「お父さん、もう学校に着いてるのかな?」
「道路が混んでなければ、もう着いてる時間だわ。
 でも、車に付けておいた発信機から見る限りまだこの辺りにいるみたいなのよ
 だから、車ごとお父さんを踏み潰さないように足元よく見て歩きなさいよ。」
再び巨大な唯と真紀は歩き始めた。
辺り一帯に響きわたる、二人のものすごい足音。



 その足音が次第にこちらに近づいてくる。

 二人は、縦に並んだ状態で国道を歩いてきた。
片側三車線の道路とは言え、身長173mと153mの親子が並んで歩けるほど広くはない。
彼女達の片足だけで国道の3車線と歩道を塞いでいた。

 そんな中、孝司は未だ避難できずにいた。
このままだと、孝司の三十数年の人生は自分の妻か娘に踏み潰されて、終わるかもしれない。
なんていう人生の終わり方だろう。
走馬灯のように、これまで歩んできた人生が思い出されてきて...


 孝司の車から3mほどの場所に、唯か真紀、どちらかはわからないものの、ズドンと巨大な靴が振り下ろされた。
孝司は何とか踏み潰されずに済んだ。
車から、降りて見ると目の前には巨大な黒い塊があった。
恐らく唯か真紀の靴だろう。
ただ巨大な黒い塊の形はさっき見た物とは異なっていた。
この巨大な黒い塊は、どうやら真紀のパンプスのようだ。
ヒールの部分で大型トレーラーを粉砕していた。
孝司は、大声を出して、自分の妻と娘の名前を呼ぶが巨大な彼女達にその声は届いていなかった。


「ちょうど、今私達が立っている真下辺りにお父さんの乗っている車があるはずだから足元よ〜く探してみて。
 あと足を不用意に動かして踏み潰しちゃダメよ」
と唯に言っている真紀のパンプスは7,8台の車を踏み潰していた。
「お母さんこそ、踏み潰さないでね」と唯が言い返す。
「とにかく、お父さんを探してあげて。きっとこの辺りにいるはずだから」
そうして、唯と真紀は孝司と車を探しはじめた。


 車から外に出ていた孝司は、先ほどの真紀の言葉を聞いて一安心した。
ここから真紀か唯に車ごと学校まで運んでもらえば入学式には間に合う。

 だが、今彼がいるのは真紀の体の真下、
上を見上げるとそこから見える光景は孝司を盗撮者の気持ちにさせた。
言わずもがな、孝司には真紀のスカートの中が丸見えだったのだ。
孝司も「男」であるからその光景に体は正直な反応をしたが、今はそれどころではない。


「おーい、ここだ、ここ」と、孝司は真紀の足元から自分の巨大な妻に向かって叫び続けた。
しかし、「小人」の孝司の声が「巨人」の真紀の耳に届くかどうかは怪しかった。

 孝司が真紀の足元に居たにもかかわらず、孝司に気付いたのは、唯の方だった。
「お母さん、お父さんの車見つけたよ。というか、お母さん動かないで。お父さんがつぶれちゃう」
「唯、お父さんいたの?よく聞こえないわ」
真紀の足がその時、少し動いてしまった。


 突然、真紀の巨大な足がこちらに向かって動いたとき、
「踏み潰される」と孝司はまた思った。
その証拠に、動きが止まった今も、孝司は手を頭の上にやって防御姿勢を取っていた。
その防御姿勢を解くと、こんどは巨大な自分の娘と目が合った。
唯が「お父さん、じっとしててね。今、助けてあげるから」と言ったとき、
孝司はやっと、自分の妻と娘によって踏み潰されてしまうかもしれない
という恐怖から逃れられたのだった。


 そして、唯に車ごと摘まみ上げられて今は、真紀の手のひらの上に乗せてもらっている。
「さてと、早く学校に行かないと駐車スペースがなくなるから学校の傍まで、車ごとこのまま運んでくれ」
と孝司が頼むと
「そうね、それがいいわ。でも、せっかくだし私じゃなくて唯に運んでもらったら?」
何がせっかくなのはかはわからないが、孝司だけ、真紀の手のひらから唯の手のひらに移動する。
真紀の指先から飛び移る際にヒヤリとした。
万が一、この高さ百メートル以上のところにある「浮遊大陸」から
もう一方の「浮遊大陸」に移動する際に落ちたら、確実に死に至るだろう。
そんな恐怖を感じつつ、孝司は唯の手のひらに無事に飛び移った。
唯の手のひらの上から見上げると、そこにあるのは巨大な自分の娘の顔。
孝司は唯と目が合うなり、「わぁ、おとうさん、ちっちゃくてかわい〜い」と言われて面食らった。
事実唯から見れば、孝司は2?もない小人であるが、こんな風に言われて、
これから先、父親としての面目が保てるか不安になる。
こんな現状からして、「巨大化通学」をあっさり認めてしまったことを、孝司は後悔しつつあった。
苦悩する父親の姿を気にも留めず、巨大な母と娘は再び歩き始めた


 歩くこと1、2分で目的地の聖陵中学校に着いた。
といっても学校の校舎は二人の足元にあるのだが。
校舎の南側に広がるグラウンドには、入学式を控えてたくさんの新入生とその保護者が集まっていた。
彼らは一様に、突如出現した巨人の親子に腰を抜かしていた。
そこに四回建ての校舎を軽く跨ぎ越して、
プール一つ分ぐらいはありそうな唯の巨大な右足がグラウンドにゆっくりと降ろされる。
唯の動作はゆっくりとは言え、彼らは踏み潰されると感じたのだろう。
グラウンドに居た人々は、蜘蛛の子を散らすようにグラウンドの中央部から逃げ出した。
もう片方の足もグラウンドに移動させ、掌の上の孝司を降ろすために、唯はその場でしゃがんだ。
唯のスカートの中を覗こうとした一部の不届き者の男子生徒もいたが、
哀れなことに唯がしゃがんだ際に、発生した突風でどこかへと吹き飛ばされていった。
そんなけしからん奴は、吹き飛ばされて当然だと孝司は思う。
まぁ、本人はスカートの中を覗かれそうになったことも
そのけしからん連中を吹き飛ばしたこともさらさら気付いていなかったが。
そして、また記念の写真を数枚ほどパシャリ。
学校の校舎を入れた写真も撮っておきたかったのだ。

 さてと、車を駐車場に止めないと思い、大声で真紀に呼びかける。
「お〜い、お前のポケットに入ってる車を駐車場に置いといてくれ」
「あら、別に駐車場にわざわざ車を止める必要なんかないじゃない。
 それに、あなたも入学式の間は、私の服のポケットか鞄の中にいればいいじゃない」
「へっ?」と返事をする間も無く、孝司は真紀の指先で摘まれて、
真紀の鞄の中に仕舞い込まれてしまった。

結局、孝司は入学式の間、ずっと真紀の鞄の中に閉じ込められて
やっと開放されたのは、式が終わった後のことだった。

唯の「巨大化通学」の話をなにも知らなかった生徒や保護者の一部は、
学校に出現した巨大な親子の姿を見てパニックになったものの、
教職員が事情を説明したところ騒ぎはすぐに収まったらしい。
ただ残念なことに、唯のスカートを覗こうとした結果、
突風で吹き飛ばされた生徒も大した怪我はなかったそうだ。


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