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4.


 「競争」に戻るため、司は再び駅に止まっている電車に乗り込んだ。
どうせこの先も奈央は奈央のペースでやってくるだろうし、こちらもこちらのペースでやらせてもらう。
巨人の奈央と無理に真っ正面から張り合ったところで、スピード勝負で勝てるはずがないからだ。
(こっち在来線、あっち新幹線みたいなもんだからな...いや、それ以上かもな)
運転席に着くなり、早速、司は電車を動かし始めた。



 そして、ここから先はどうなっているかというと、まず高架化されている南本の市街地を走り抜ける
そして、しばらくしてまた田園地帯(という名の実質何もない区画)がある。
そこを過ぎると次第に前方に山が迫ってきて、線路はそのまま山の下を貫くトンネルに突入する。
加えて、そのトンネルの内部で線路は大きく左にカーブしている。
このカーブは「箱庭」の四隅に設けられた大カーブの一つだ。
ここを通過する際には相当、スピードを緩めなければならない。
なので、奈央と競争するに当たってはこのカーブも大きなネックとなっている。



 そしてガーブが終わり、長いトンネルを抜けたその先には以前、真美も含めた三人で海水浴をした海岸がある。
さらに海岸の先はまたしばらく長い直線区間が続いている。
というわけで、この先のトンネルの大カーブに到るまでは基本的に線路はまっすぐである。
そもそも「箱庭」内の線路は現実では有り得ないほど、直線率が高い。
高速で過ぎ去っていく風景を眺めながら電車を運転するというのは非常に気分がいい。
無意識のうちに、司は最高速までスピードを上げ続けていた。


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 ところで、このあたりの「巨人用歩道」は線路から少し離れた場所に設けられている。
とは言え、「巨人」の奈央が歩くときに発生する轟音や振動を全くと言っていいほど感じていなかった。
少し離れているからと言って、奈央が歩くときの「副産物」を全く感じないというのはおかしい。
となると考えられることはただ一つ。
奈央は今は近くを歩いておらず、まだ南本に留まっているようだった。
(奈央のやつ、どんだけ余裕ぶっこいてるんだか...それでも勝てないのが悔しいし)
昔は電車と並んで歩いて追い抜き、追い越しして巨人の優位さを見せつけていた。
今から考えれば、この頃の奈央は歳相応のやり方というかまだ子供らしく可愛気のあるやり方をしていた。



 だが、最近の奈央は自分が絶対的に優位なのを確信して、出来る限り、司に先に行かせて後から一気に追い抜くようになっている。
そうする方がより優越感を感じて楽しいと気付いたからだろう。
逆に、こっちとしては余計、自分の小ささを感じるようになった。
成長というのは時に残酷である。
一応、奈央はどうしているのかと気になって、司が窓から顔を出して後方を振り返った。



 不思議なことに司の視界に奈央の姿は入ってこなかった。
(奈央の姿が見えないのはおかしいな...)
と、思ったのも束の間。
南本のビル街から何か巨大な物体が出現してきた。
それは明らかに奈央の頭部だった。
どうやら奈央はそこで縮小させた体を元に戻す、つまり「箱庭的」に説明すれば巨大化し始めたのだった。
ビル街から巨大な顔がにょきっと飛び出してきたかと思うと、あっという間に南本のランドマークのビルよりも大きくなり、さらに巨大化を続けていた。
そのビルと同じ高さに並ぶ奈央の体の位置が次第に頭から首、胸、腰と段々下がっていく。
そして最終的には元通りの大きさ、およそ「箱庭」にあるどんなに高いビルでも奈央の太ももの高さにしか届かない大きさまで巨大化した。
その大きさは超高層ビルと並ぶ約250メートル。
こうして奈央は自分の体を元通りの大きさに戻して、ようやく「競争」に戻る準備を終えたのだった。



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 司の出発から遅れること数分。
今まで何もしなかったのは余裕の表れだろうか。
やっと奈央も再び歩き始めた。
どうゆうわけかそれも一歩一歩やけにゆっくりと。
奈央が巨大な分、小さな司からすれば奈央の一つ一つの動作はスローモーションに見える。
しかしながら、その巨体が踏み出す歩幅は一歩に付き、なんと100メートルにもなる。
しかも動きがスローモーに見えるからと言って、実際の速度が遅いわけでは決してないのだ。
巨大であるが故にスローモーに見えるだけ、巨大な奈央が歩くスピードは信じられないくらい速いのだ。



 奈央は周りに建っている膝の高さにも届かないビルに当たらないよう、踏まないように倒さないように気をつけて歩いていく。
すると、どうしても必然的に慎重な足取りにならざるをえない。
そもそも、このあたりのビルとビルの間の道路は奈央の片足で完全に塞がれてしまうほどの広さしかない。
これでも現実の街並みと比較すると「巨人」が歩けるように、道幅はかなりゆったりした作りになっているのだが、
それでも限界ギリギリでそこに余裕などあるはずがない。



 そして、ビルが密集している地区を抜けると広々としたこれまたかなり幅の広い道路に出る。
ハイウェイネットワークのように箱庭中を張り巡らされた「巨人」のための通り道だ。
片側6車線の道幅を用意して、やって「巨人」が余裕を持って歩くことの出来る道になる。
特に用事も無く、「巨人用歩道」以外の部分の小さな街並みに好き好んで足を踏み入れたりすることは、奈央以外はほとんどない。



 これからどうやって司にいたずらを仕掛けるか。
その妙案はもうすでに奈央の頭の中に浮かんでいた。
(これやっちゃうとお兄ちゃんに怒られるかも知んないけど、別にちっちゃい時は怖くないし〜)
奈央は小さな司を翻弄する気満々でいた。



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 そうこうしている間にも、司の乗った電車は長いトンネルに入っていった。
「箱庭」にあるトンネルにしては長い方で、一旦、トンネルに入った車両は出口に到るまで幾分、時間がかかる。
真っ暗な暗闇とトンネル内に響き渡る走行音のみが周囲を包む。
鉄道模型として眺めている分には、トンネルの長さというのはあまり気にならないものだが、
こうして乗ってみるとトンネルの中からでは全く景色が何も見えず、つまらないのが残念だ。
(奈央のやつ、まーた変なことしてこねーかな)
この時、司はふと嫌な予感を感じた。
今日一日の奈央の態度からして自分と「遊び」たがっているのは明白だ。
だからこのまま、何事も無くことがあっさりと終わるはずがないと司は思っていたのだった。 



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 「箱庭」中を見下ろすことの出来る視点を持つ奈央には司の現在地が一目瞭然だった。
その進行方向には山が聳えている。
そして、線路はその山の下をトンネルで貫いている。
このままのスピードで行くともうすぐ司が乗った電車はトンネル内に入る。
向こうから自分の姿が見えなくなってしまえばこっちのものだ。
奈央は軽くほくそ笑んだ。
奈央の計画を実行するには、司から自分の姿が見えない間に素早く移動して、先回りしておくことが必要だった。
目指すは山に囲まれたあの海水浴場。
司の電車がトンネルに入ったことを確認するやいなや、奈央は歩くスピードを一気に早めた。



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 司が乗った電車がトンネルに突入して数分が経過した。
大きなカーブを抜け、正面に出口の光が見えてきた。
列車は光が差し込む出口に向けて暗闇の中をひたすら突き進む。
ようやく、列車が長いトンネルを抜けた。
トンネルを抜けた先は三方を山に囲まれ、もう一方を海に囲まれているちょっと秘境チックなあの海水浴場の最寄り駅だ。
ここら一帯は、ジオラマの出来としても実際に走行してみるときの風景としても、司のお気に入りだ。
「箱庭」の全体からすれば、小さく狭いエリアではあるが実に趣きのある景観を作り出している。



 以前、ここに海水浴をしに来たときにはあった、本物の海と見間違うほど大量の水は今はない。
進行方向の右側にはだだっ広く広がる「箱庭」の地表が顕になっているのが見えるだけで、殺風景な風景になってしまっている。
ここには奈央が上空からペットボトルに入った水を撒いたように海水浴をする時だけ水を敷く。
というわけで普段、海として使わないときは全て水を抜いてあるので、海の底になる部分は味気ない「地」として眼に見える形で現れている。
いささか殺風景になってしまっているのも致し方ないことではある。
最も水が溜まって海となる部分についてははっきりと海と分かるように、その部分には青い塗装とみずにぬ耐水加工が施されている。
これは「海」だけではなく、「箱庭」の中にあるいくつかの「川」でも同じようにしてある。
実際に泳ぐ目的で使用する「海」以外の場所で、本物の水を使うと色々不都合がある。
なので、水があって然るべき場所についても、本物の水の使用は限定的なものとなる。



 仮にこの「海」に水がたっぷりと張ってある時なら、さらに圧迫感があっただろう。
加えて、奈央がここにやってくればさらにそれに拍車を掛ける。
正面は海、背後と左右は山、さらに周囲一帯を覆い尽くせるほど巨大な妹の体に囲まれるという状況だ。
残された逃げ道は駅の両端から伸びる鉄道のトンネルだけ...
(昔の偉い人は言いました。優れた砦には敵の侵入路が一つだけ用意されていると……
 なぜなら、そこから侵入してきた敵を一網打尽にすることが出来るからだと……
 って、なんでこんなこと考えているんだ。
 こういうこと考えてしまうから、イヤな予感が現実になってしまうというのに……)
そしてそれは司にとっては非常に残念なことではあるが、本当に現実となってしまった。



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 司が異変に気付いたのは、丁度、海岸の駅を通過している最中だった。
駅の先にはふたたび山の下を貫くトンネルが待ち構えている。
普段ならこのあたりから、駅の先にあるトンネルの出口まで見渡すことができる。
だが、しかし。
(おかしい。トンネルの先に光が見えないのはおかしいぞ……)
そう、駅の先のトンネルの出口に見えるはずの光が確認できなかったのだ。
トンネルの出口が何か巨大な物体で塞がれているのだろう。
司はこれまでの経験からすぐにそう判断できた。
以前にもこういうことは何度かあった。
その原因も大体、想像がついた。
何せ考えられる原因は一つしかなかったからだ。



 ただし、司が今、走っている位置からでは出口の先に何があるのかを確認することは出来なかった。
列車はすでに駅を通過し、トンネルに差し掛かっていた。
しかし、このまま闇雲に光の見えない出口まで突っ走るわけにも行かない。
とりあえず一度、引き返して、さっき通過したばかりの駅に電車を停車させることにする。
話はそれからだ。
「で、どうすんだ、これ……」
こちらとしてはこの先の進路を塞がれてしまってはどうしようもないのである。
(ったく……アイツがなんかするまでここで待ちぼうけか……)
司は今日、何度目か分からないため息を吐きながら列車を駅まで後退させた。



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 実際のところはこうだった。
司が乗った電車がトンネルの中を走っている間に、巨大な奈央はそのサイズ的優位差を活かして、
二つ目のトンネルの出口付近へと一気に大幅なショートカットな経路で移動した。
そうして司の行く手に先回りし、その場ですばやく靴を脱いで、トンネルの出口に密着させて置いたのだ。
こうすれば、いとも簡単に司を海岸付近で足止めさせることができるのだ。
そして置くのは靴の爪先の部分だけ。
それでいて二本の線路を塞ぐには十分だ。
線路からはみ出している踵の部分は線路沿いの小道にまで達し、さらにその道を超えた先までも塞いでしまうに至っていた。
奈央が履いていた長さ40メートルはあろうかという巨大な靴は小さな「箱庭」の世界の中で異彩を放っていたのだった。




<つづく……>

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