爪先で引っ掻いてみただけ

 

ある晴れた昼下がり、高層ビルの数多く立ち並ぶ繁華街。
会社員や学生、買い物客で賑わう街角に、先程までの眩しい日差しから一転、薄暗い影が落ちてくる。
大きな雲でも街の上空を横切っているのだろうか。
何人かはそう考えながら、また大抵の者は気にも止めず忙しそうに歩き続ける。
だが次の瞬間、突然の強烈な衝撃によって彼らの多くは転倒し、また吹き飛ばされてしまった。
平和な日常を破壊する流血惨事。一体何が起きたというのか。地震か? あるいはガス爆発?

怪訝に思いつつ、痛みに耐えてとりあえず起き上がった彼らの目の前に映った光景は、
原型を留めないほど押し潰されたり、垂直に倒壊したり、あるいは今まさに倒れようとしている高層ビルの数々と、
その後方に圧倒的な存在感をもって君臨する、あらゆる建物よりも高く大きくそびえた肌色の壁だった……。

 

少女はただ裸足の爪先を地面にそっと置いただけだった。
たったそれだけで、五本の足指の下に数十棟の建物と路上を走っていた百数十台の車、千人近くの人間の姿が消えてしまう。
さらにその周りでも幾つかの建物が崩れたり、交通事故が起こったり、人間たちが転んだりする始末。
それもそのはず、少女の足指はそれぞれ直径百メートル以上もの太さがあったのだから。
女の子らしいすべすべした綺麗な素足全体ともなると全長二千メートル、全幅五百メートルを超越する大きさ。
それに比べたらちっぽけな都市のちっぽけな繁華街など一踏みで丸々踏み潰してしまえる。
そしてその持ち主は踵からショートヘアの頭のてっぺんまで一万四千メートルというさらに途方もない身長だった。
上空を漂う薄雲もせいぜい素足を曝け出した脛から膝にかけての高さしかなく、
遥か成層圏の彼方を飛んでいるはずの旅客機も顔の高さに届かない。

そんな巨大な少女は足元で小人たちが混乱している様子をしばらく面白おかしく見守っていたが、
やがてにまぁっと笑みを浮かべると、爪先を立てたまま足指で街を縦断するように線を引いていく。

 

ガラガラと大きな音を立てて容易く押し倒され、引きずられていく現代文明の象徴たち。
だが、それも巨大な肌色の物体が大地を深々と掘削する轟音に比べれば大したことはなかった。
つい先程まで安穏な街にいた人々は、まさしくカタストロフの如き大破壊から逃れようと脇目も振らず必死になって駆け出すが、
激しい振動をもたらしながらケタ違いの速度で背後から迫り来る巨壁にすり潰され、
あるいは建物の崩壊や地割れに巻き込まれて次々と絶命していく。

このように巨壁の進路上にいた者は逃げるので精一杯で他に何も考える余裕もなかったが、
その脇にいて運良く殺戮を免れた者の幾人かは巨壁が人間の足指らしき形をしていることに気がついた。
何てことだ! 人間の、それも幼い少女らしい滑らかな丸みを帯びた足指が街を蹂躙している!
だが、それが分かったところで彼らはどうしようもなく、
むしろ人間の少女が大破壊と大虐殺を行なっているという眼前の光景にまともに向き合えず、
これは悪い夢を見ているに違いないと現実逃避することしか出来なかった。

その間にも巨大な足指は震度7の大地震にも耐えられる頑丈な造りをしたはずのビル群や、
全速力で駆けたり車を走らせたりしているはずの人々をいとも簡単に押し退けすり潰しながら、
まるで大規模な土木作業みたく街に縦幅数千メートル、横幅や深さも数十から数百メートルになる直線状の大穴を穿っていく。
繁華街を構成していた数百棟のビル群と、そこにいた数千台の車両、数万の人間が消え失せるまでそう時間はかからなかった。

やがて建物のほとんどない郊外まで爪先を動かしたところでぴたりと動きを止める足指。
これでようやく終わり……? 俺たちは助かったのか……? 
生き残った人々はぽっかりと開けた繁華街の跡地を見て大破壊の惨状に恐怖し絶句しつつ、
ひとまず自分たちが巻き込まれなかったことに安堵する。
だが、それも束の間だった。次の瞬間、無慈悲にも巨大な足指は左右にずり動き始めたのだ。

 

街の中央部を抉り取った少女は続いて足指をひねるようにして周辺部もすり潰していく。
まずは爪先で描いた線の両脇に倒壊していたビルの残骸を粉々にしながら瞬く間に乗り越え、
ほとんど無傷にいた住宅街をノロマな小人たちごとめちゃくちゃに蹂躙する。
足の小指で軽く小突くようにするだけでも十軒以上の家屋がプチプチ押し潰れ、
親指をねじ込むようにすれば数十軒の家屋あるいは学校や大型スーパーさえ文字通り一ひねり。
住宅地の隙間を縫うように走っていた電車は、足指で握るようにしてやれば近くの駅や住宅地ごと跡形もなく消えてしまった。
ただ、いちいち壊し方をひねるのも面倒なので、後は惰性に任せて爪先を縦横無尽に動かしていけば、
その都度何百何千と建物が倒壊し、押し退けられ、足指の下にすり潰されて地面の中に埋もれていき、
灰白色の小石をまぶしたような外観だった街は次第にほとんどが土色に変わっていく。
少し前にはたくさんいた動くものの姿も、もうすっかり見えなくなってしまっていた。

 

最後に少女が締めとして街の上にぺたりと素足を置いた時、そこには一人の人間も、一棟の建物も残ってはいなかった。

 

おしまい

 

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