ナオとナツ
爽やかに晴れ渡った秋口の朝。朝食をとり、身支度を整えた俺は挨拶をしてから家を出る。
そろそろ時間だ。塀にもたれかかると、時折時計を見ながらアイツが来るのを待つ。
ズン……ズウン……
今日はちょっと遅いなと思った頃、遠くから重々しい音が聞こえてきた。
およそ規則正しいリズムは近づくにつれて揺れも加わり、
次第に地響きは近所の家々を震わせるほどに大きくなっていく。
ズウウウン……ズウウウウン!
そして付近一帯が影に覆われ、一際大きな地響きに見舞われたところでようやく鳴動は収まった。
「おはよう、ナツねえ」
見上げると、空に向かって手を振る俺。
「おはよ、ナオくん」
上空から帰ってくる返事。ナオくんとは俺のことだ。名前が村上直樹だから、ナオくん。
勉強も運動も平均的な、どこにでもいるような普通の高校生だ。
ちなみにナツねえは一個上の幼馴染で、名前は三条奈月。
家族ではないが、親しみを込めて「ねえ」を付けている。
というかそうしないと、生意気だとか言って鉄拳が飛んでくる。
最近まで家がすぐ隣で、家同士の付き合いも良かったので、
ナツねえとはまるで姉弟のように仲良く遊び、遊ばれ、
高校生になっても同じ学校なので一緒に登下校することもしばしば。
そんなナツねえは(一応)優しく、大らかで面倒見のいい性格で、
高校の先輩ということもあり、俺の前では大人ぶっているが、
妙に好奇心旺盛だったり悪戯好きだったりと、結構子供っぽいところも持ち合わせている。
そして何より重要なことは、ナツねえは半端なく大きい。
胸…もかなり大きいし魅力的だが、まあそれは置いといて身長のことだ。
2メートルや3メートルなんてチャチなもんじゃない。165メートルもあるのだ。
そこいらの住宅なんてナツねえのローファーの高さほどしかなく、
マンションや雑居ビルも多くが膝の高さにさえ届かず、
ちょっとした高層ビルでも腰や胸の高さがせいぜいで、
同じくらいの高さの建物などこの街にはどこにも存在しない。
要は街で一番背が高いってわけで、普通の目線では見えるのは足だけ。
履きならされた黒のローファーから始まって、健康的な脚を包む白のニーソックス、
むっちりした太ももを曝け出す絶対領域にブリーツスカート、
そして胸の部分が大きく盛り上がったセーラー服の上にようやく顔が見えてくる。
首が痛くなるぐらい見上げないと、まともに顔を見合わせることもできない。
その途中、パンツを結構はっきりと拝めるのは…不可抗力だ。
「今日は白パンか…」
「ん? なにか言った?」
「い、いや、なんでもない! ほんとなんでもないから!」
「ふ~ん。どうせロクなこと考えてないんでしょ」
全力で否定する俺を蔑んだような目で見下ろすナツねえ。視線が痛い、というか大きさが相まって怖い…。
とはいえ、大らかな性格なのでパンツの一枚や二枚、あまりどうってことはないらしい。
本人曰く、どうせ見えちゃうんだから気にしてもしょうがないでしょ、とのこと。
それならスパッツを穿くなり何なりすればいいものの、特に変えるつもりはないとか。
そのおかげでこっちも毎日目の保養になってありがたいが。
もっとも、さすがにモノには限度があるらしく、不埒な輩には時折キツーいお仕置きが待っており、
泣きながら土下座をするまで許してくれない(経験談)。
ところで、今でこそこんなに大きなナツねえだが、昔からこうだったわけではない。
昔もそこそこ背が高かったとはいえ、それは女子の平均身長にしてみればの話で、
だいたい俺と同じくらいだったのが、俺が高校に入ってしばらくした頃にひょんなことから巨大になってしまった。
何言ってるか分からないかもしれないが、とにかく現実にそうなってしまったのだ。
宇宙人の仕業とか、神の御業とか、様々な説が飛び交ったが、結局原因は不明なまま。
もっとも、大きくなってしまったものはしょうがないということで、
最初は色々と大変だったものの、今や本人は巨人生活をすっかり楽しんでいたりする。
その巻き添えを食らうのは俺達なわけだが。ほんと、何度指先や足で潰されそうになったことやら。
でも、大きくなっても相変わらず俺を幼馴染としてみてくれるし、
俺だけでなく家族や友人その他も大切にして、なんだかんだでいいヤツだと思う。
巨大になったからって大暴れするわけでもなく、他人を見下すわけでもなく、
時折暴走することはあるものの、基本は今まで通りやっている。
そんなこと、なかなか出来たもんじゃないし、偉いことだと思う。
面と向かってはちょっと恥ずかしくて言えないが。
ともかく、ナツねえは学校にだって通って、授業もまじめに受けている。
そして、今日もこれから一緒に学校に行こうというわけだ。
「それじゃ、いつもの場所に乗せるね」
屈んで指先を伸ばしていくナツねえ。その際、お尻に潰されるほど高い建物は近所にない。
スカートの裾が家々の屋根に擦れたりして、建物が軋む音を不安に思うことはあるものの、
それよりも、かなり近づいてよりはっきりくっきり見えるようになったパンツにどうしても気が行ってしまう。
折り曲げられた脚と、むっちりしたお尻、白い布切れがもたらす壮観に感嘆しつつ、
巨大な親指と人差し指にキュッと挟まれると、そのまま上空に持ち上げられていく。
そして、ナツねえの肩にまで来たところで指はパッと離れた。
セーラー服の襟に着地する俺。見晴らし抜群、揺れも抜群な俺の特等席だ。
以前、車酔いならぬナツねえ酔いしたことがあったっけ。
まあでも、意外と人間慣れてしまえばどうってことない…と思ったが、
ナツねえの胸元は色んな意味で危険だった。それと胸ポケット。
歩く度に大きなおっぱいが揺れ動くもんだから激しく揺さ振られるのと締めつけられるので、
見て天国、体験して地獄というか、あれは命がいくつあっても足りない。
だから、今は少し不安定ながらも肩に乗ることにしている。一応お手製のシートベルト付き。
そんなこんなでナツねえは俺がちゃんと肩に乗ったことを確認すると立ち上がった。
先程までもなかなかの眺めだったのが、さらに高く高くなっていき、ついには街で一番の眺めになる。
どこかの高いタワーの展望台から街を見下ろしているような、そんな気分。
でも、ナツねえも同じくらいの目線で街を見ているのに、足は大地についているんだから、
いつも思うんだがほんとにとてつもない大きさだ。
「ん? どうしたの」
「いや、ナツねえって大きいなって」
「そりゃ、わたしだもん」
「どんなわけだよ…って、もうそろそろ学校が始まりそうだ」
「ほんと? じゃあ、ちょっと急ぐね」
そう言ってナツねえは俺を肩に乗せたまま、大股で道路を歩きだす。
一歩前に進む度に地響きを引き起こし、アスファルトの地面に深々とした足跡を刻んでいくが、こればっかりはどうしようもない。
不可抗力というわけだが、本人曰く、建物を踏みつけないだけマシと思いなさい、とのことで、
あまり悪気もないどころか、むしろ楽しげに邪魔な車をちょいちょい突いてどかしたりすることも。
でも、街の人も慣れたもので、今やそんなことで大慌てする人もあまりいないらしい。
電車がトコトコ走る線路を跨ぎ越し、数棟の建物をまとめて跨ぎ越しと、そんな具合にナツねえが歩いていけば、
俺が歩いて数十分かかる学校までもわずか一分ほどで着くことができた。
もっとも、それは足元を確認して慎重に歩いているからだそうで、
気にせず歩けば十秒ほどで辿りつけるとか。走ったらそれこそ一瞬らしい。
…街が壊滅するのも一瞬だろうが。
「それじゃ、またね」
「ああ、またあとで」
ともかく、学校に着いたのでナツねえは俺をそっと下ろしてくれる。これからは別々な授業だ。
といっても、当然と言っちゃ当然だが、ナツねえは身体が大きすぎて教室に入れず、
代わりに校庭から授業を受けるのでその姿は俺の教室の窓からでもずっと見ることが出来る。
おかげで、教室に向かうとほぼ確実に遅刻する時間に学校にきてもナツねえだけはセーフだったりする。
「なんかずるいな…って、そんなこと考えてる場合じゃない。急がないと」
もう校庭には他の生徒が誰もいない。このままだとまた俺だけ遅刻になるパターンだ。
まあ、遅れるのはホームルームの時間なのでそれは別にいいんだが、後でクラスメイトに
「先輩は間に合ってるのにどうしてお前は遅刻なんだよ」とか「足遅すぎ(笑)」とか小馬鹿にされてしまう。
今日一日元気にやろうって矢先にそんな惨めなのはご免だ。
俺は駆け足で校舎の中に入っていった。
* * * * *
結局俺は遅刻して冷やかされたわけだが。
ちゃんと朝早くに起きたというのに、ちょっと理不尽だ。
だいたいナツねえが早くウチに来ないから遅れたわけで。
でも、まあどうせいつものことだからもう慣れっこだ。
ともかく、すぐに授業が始まり教室は先生の声と生徒がノートをとる音だけとなる。
俺も生半可に黒板の文字を写しつつ、何となしに外を眺めれば、ナツねえのセーラー服が窓いっぱいに広がっていた。
自分の教室を覗き込むようにして授業を受けてるらしく、ここからだと豊かな胸が強調されてたまらない。
しかしこれで本当に板書を読めたり、話してる内容が分かってるかどうか怪しいが、
なかなかどうしてナツねえは巨体に似つかわしくない繊細な感覚の持ち主で、問題ないらしい。
実際、恐ろしいほどの地獄耳だったり、やけに目が良かったりするから困る…訂正、感心する。
しかも、そんな集中力が要りそうな授業をまじめに受けているんだから、大したヤツだ。
俺なんか大抵の授業は机と友達なのにな…。
そして次の時間。寝ぼけ眼で外を見れば、上級生が体育の授業をやっていた。
ナツねえもいつの間にか体操着に着替えて参加している。
何をやるのかと思ってよく見てみると、今日はどうやら陸上をやるらしい。
まずは50メートルから。他の女子が9秒くらいかけて走るところを、ナツねえは一跨ぎでゴール。
記録は1秒にも満たないだろう。タイムを一桁塗り替えて、堂々の世界新記録間違えなしだ。
続いてハンドボール投げ。ほとんどの子がめいいっぱい投げてもナツねえの靴の長さ分も投げられないなか、
ナツねえは指先だけ使ってひょいっと軽く投げただけで、ボールは住宅街を飛び越えはるか遠くに飛んでしまった。
飛距離何千メートルだろうか。きっと今頃何処かでは突然空からボールが降ってきてちょっとした騒ぎになってるかもしれない。
「やっぱすげえな、ナツねえって」
ぼうっと眺めながら独り言をぽつりと呟いていると、いつの間にか先生が目の前に立っていた。
「おい、村上。どこ見てるんだ」
「い、いえ、どこも…」
「そうか。ならこの問題を解いてみろ。授業を聞いていたなら解けるはずだ」
「……はいぃ…」
その後こってり絞られたのは言うまでもない。
さすがに次の授業はまじめに受けて、ようやく昼休み。
普段は教室で友人と一緒に昼食をとっているが、今日は散々な一日なので、
ちょっと気分を変えようと弁当を持って一人屋上に登っていく。
扉を開けたところで、目に入ってくるのは巨大な白いカーテン。
これがナツねえのセーラー服であるのは言わずもがな。
ちなみに、ナツねえは座っているのにもかかわらず屋上はその腰の高さほどしかないが、
それはさておき、俺は大きく息を吸うと呼びかけをする。
「おーい、ナツねえ」
「あ、ナオくん。どうしたの」
すぐ俺に気づいて顔を向けてくるナツねえ。大きな澄んだ瞳と目が合う。
俺はちょっと気恥かしくて視線を逸らし、頭を掻きながら提案する。
「いやまあ、一緒に昼食でもどうかなって」
「うん、いいわよ」
「じゃあ、遠慮なく」
ナツねえの厚意に甘えて、俺は屋上に胡坐をかいて座りこみ、弁当箱を広げる。
ちょうど食べ始めるところだったのか、ナツねえも既に巨大な弁当を膝の上に乗せていた。
中身も軒並み大きく、さすがに肉や魚は一頭一匹丸々なんだろうが、
人間サイズのトマトに車並みのカボチャなど、何処で作られたのか不思議なものもある。
それらをナツねえは一口でぱくっと食べてしまうんだから、恐ろしい大きさだ。
一食で何百人前食ってるんだろうかと呆れつつ、俺もちまちまと自分の弁当を食っていく。
「…ところで、一緒に昼食なんて今日はどういった料簡なの?」
口をもぐもぐさせながら尋ねてくるナツねえ。
俺は食べ物を飲み込んでから答える。
「…ナツねえのせいで先生に怒られちまった」
「わたしのせい?」
何か思う当たる節がないか首を傾げるナツねえ。
「いやその…ナツねえが体育の授業なんてやってるから、
つい釘づけになってたら先生に見つかって…」
「なにそれ。おねーちゃんに責任転嫁するつもり?」
ナツねえはそう言って少しむっとした表情するも、何か思いついたのか、
にやっとした笑みを浮かべると人差し指を俺に向けてくる。
「そんな悪いナオくんにはおしおきね」
視界いっぱいに迫りくる指先。何人分の大きさがあるだろうか、こんなのに押し潰されたら一溜まりもない。
弁当を放り投げて急ぎ逃げようとするが、指のあまりの速さにすぐ追いつかれて押し倒されてしまう。
屋上に突っ伏しながら顔だけ振り向けば、真上から襲いかかるは巨大な指先。
「う、うわあああ……」
ぷちっ。俺は潰されて死んだ。嗚呼、さようなら青春の日々。
…なんてことはなく、もちろん手加減されてはいるが、
それでもナツねえの人差し指と屋上に挟まれて全く動けなくなってしまう。
しかも面白半分か、グリグリやられるもんだから苦しくてしょうがない。
「ギブッギブッッ!」
屋上をバンバン叩いて必死に降参をアピールする俺。
きっと傍から見たら何とも情けない光景だろうが、背に腹はかえられない。
でも、おかげで無事に意思が伝わったようでナツねえの指の動きがぴたっと止まる。
「もう懲りた?」
「ああ、こりごりだ…」
弱りきった声でそう言うと、ようやく巨大な指が離れて解放された。
とりあえずは大きな伸びを一つ。それから息を整えると、よろよろとナツねえの方を向く。
「しかしひどい仕打ちだよ…。俺は事実を言っただけなのに」
「へぇ~、まだ何か不満でもあるの」
そう言って、蔑んだ目でまたも指先を向けてくるナツねえ。
「いやそうじゃなくて、ナツねえって凄く魅力的だからつい…って他意はない、ほんとほんとっ!」
「ふ~ん。まあそういうことにしてあげる」
慌てて否定しようとしてつい口が滑ってしまったが、ともかくナツねえは指を引っこめてくれた。
今日の教訓。口は災いの元だ。次からは気を付けよう。
そんなこんなで昼食を終え、ナツねえに挨拶をしてから教室に戻ると、
待っていたのは何故か興奮したクラスメイト達。
「おい、先輩に弄ばれたってほんとか」
「どうして僕と代わってくれなかった!?」
「うらやましいヤツめ。俺も先輩に虐められたい…」
このマゾどもめ、と心の中で毒づきつつも、俺もその気がないと言えば嘘になるかもしれない。
大きくなる前も大きくなった後もナツねえには結構弄られ虐められたのに
よく付き合ってきたものだと、自分のことながらしみじみ思う。
しかしこいつらは一体何処で見聞きしていたのかと思うも、よく考えるまでもなく、
ナツねえの声はその大きさ故そこら中に洩れてしまっているわけで。
「それで、どんなこと言えばそうなったんだ?」
「教えろ教えろっ」
「このうらやましいヤツめ」
結局、俺は残った昼休みいっぱい揉みくしゃにされてしまった。
もう勘弁。
* * * * *
満身創痍の身体で午後の授業もなんとか終え、放課後。
部活には入っていないので、帰り支度を終えた俺はまっすぐナツねえのとこまで行く。
「ナツねえ、ここだー」
「あ、ナオくん」
大きく手を振って呼びかけると、ナツねえは気づいたみたいで指を伸ばしてくる。
あとは朝と同様にして俺を肩に乗せると、よっと立ち上がった。
「今日はどこかに寄ってく?」
こんなにでかいと何処に行こうとも迷惑がかかってしまうので、
普段は寄り道せずにまっすぐ家路に就いているが、俺は一応聞いてみる。
すると、返事は意外なものだった。
「う~ん、街の方に行こうかな。ちょっと寄りたい場所があるの」
郊外ならともかく、街に用とは一体何だろうか。
少し気になるが、どんな要件にしても街が大変なことになるのは間違いない。
一市民として、その前に幼馴染としてここは全力で阻止しなければ。
「そんなことしたら街がひどいことに…」
「おねーちゃんに逆らう気?」
しかし、最後まで言う前にギロッと睨まれてしまった。
だが、街の平和ためにもここで怯むわけにはいかない。
「ひいい……。で、でも…」
「男の子ならうだうだ言わないっ。というわけで、しゅっぱつ侵攻っ!」
「字が違う…」
少し粘ってみたものの、結局は押し切られてしまった。
でも、止めようとしたにはしたから俺は悪くはない…はず。
そもそもこんなに大きさに差があれば物理的に止めようとするのは不可能なので、
出来ることといったらナツねえのご機嫌を窺うことぐらいしかない。
というわけで、俺はナツねえが街に向かって歩いて行くのをただ傍観していく。
「ふんふ~ん♪」
鼻歌を歌いながら楽しそうに通りを歩いていくナツねえ。
アスファルトの地面にくっきりした足跡を刻んでいくのは仕方ないとして、
一応、車に注意しながら進んでいるみたいだが、見ているこっちがハラハラしてくる。
もちろん、心配するのは車の方だ。どうせナツねえはどんなに高速で突っ込まれようと無傷だが、相手はそうはいかない。
ナツねえにぶつかったり、ナツねえがうっかり踏み外したりすれば一瞬でお釈迦だ。
実際、今までにどれだけの車が踏み潰されて薄っぺらな鉄板と化したことか。
あの時は乗員はとっくに避難したりしていたので人的被害はなかったものの、
今は走っている車も多々あり、当然それらは誰かしらが運転しているわけで。
一応、登下校する道は警報もあるし、運転手もみんな慣れているので大丈夫だが、
それ以外の場所ではそんなモノや保証などあるはずもなく、
その車、あの車が踏み潰されるんじゃないか、蹴り飛ばされるんじゃないかと思うと気が気でない。
「もうちょっと気を付けて歩いてくれよ…」
「そのつもりだけど?」
「って言ってるそばから…ああっ!」
ナツねえが足を下ろそうとしていた場所には一台の路線バス。
でも、ナツねえはちゃんと気づいていたみたいで、爪先で器用にバスを動かして足の置き場を作り出す。
「ふふん。どう?」
「どうっていわれても…」
さも当然のように言うナツねえに半ば呆れるが、半ば感心もしてしまう。
スケールが違うというか、流石というか。とりあえずバスの乗客には心の中で謝っておく。
まあでも、こううまくやってくれるなら少しは落ち着いて見れそうだ。
そうして気持ちにいくらかゆとりを持って通りを見ていくと、
少し先で何台ものパトカーが通りを封鎖しているのが確認できた。
確か今日は特別な行事もなく、また警官隊の慌ただしい様子から、
ナツねえがこれ以上街に侵入するのを阻止しようとでもしているのだろうか。
だが、数歩でバリケードの前まで達したナツねえはお構いなしに一歩で踏み越える。
「おいおい、大丈夫なのか」
「いいのいいの」
少々不安に思い聞いてみるも、笑顔でさらりと言うナツねえ。
後ろからは拡声器を手にした警官が戻ってくるように要請というか懇願していたが、
ナツねえは全く聞く耳持たず、どんどん先へ先へと進んでいく。
次第に車で溢れていく道路、高く大きくなっていく両脇の建物。
そして、繁華街の一角にたどり着いたところでようやくナツねえは立ち止った。
「ナオくん、この近くにアイス屋さんができたの知ってる?」
「…いや、知らないなぁ」
「確かこのへんだと思うけど」
そう言ってナツねえは周囲を窺ってみるも、この大きさでは店を探し出すのはなかなか難しいようで、
長い髪を地面に垂らしながら、幾つかの建物に顔を近づけて一階から最上階まで物色したあと、溜息を一つ。
でも、すぐに何か閃いたようで、ぽんと手を叩くと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
俺は少し嫌な予感がしつつ、とりあえず静観していると、
やはりというかナツねえは道端にいた群衆に手を伸ばした。
「ちょっ…」
慌てて止めようとするも、俺にそんな術などあるはずもなく、
逃げ遅れた若い女性が巨大な指に挟まれてあっさり捕まるのを肩口から見届けることしかできなかった。
摘まみ上げられた彼女は今にも泣きそうな表情で、すがるようにナツねえを見上げている。
俺はともかく普通の人は、本当はいいヤツとはいえ怪獣のように巨大で気ままに行動するナツねえに
地面が遠く見えるほどの高さに持ち上げられたら怖くて当然だ。
俺が代わりに聞きに行くべきだったと今更ながら思うも、後悔先に立たず。
至らないばかりで申し訳ない。まあでも、ナツねえはきっと悪いようにはしないだろう。…たぶん。
「ひぃ、命だけは…」
「何言ってるんですか。そんなことしませんよ。
それより、新しく出来たアイス屋さんを知りませんか」
怯えきった女性に優しげな笑みを返し、かしこまった言い方をするナツねえ。
もっともその程度では相手の恐怖を和らげるまでには至らなかったが、
たどたどしいながらも回答を引き出すことが出来たようだった。
「あ、あわわ……。た、たた、たしかそこの…ピンクの建物の…い、一階だったかと…」
「ありがとうございます。それでは地面に戻しますね」
もうこれで用は済んだので、にっこり微笑んでから、そっと女性を元の場所に返してあげるナツねえ。
すると、よっぽど怖くて堪らなかったのだろう、彼女はその場にへたり込み、
駆けつけた友人らしき人物に支えられてようやくよろよろと何処かへ消えていった。
「かわいそうに…」
その一部始終を見ながら、俺はぽつりと呟く。
だが、ナツねえは相変わらずの地獄耳で、ジト目で見られてしまう。
「なにか言った?」
「いえ、滅相もございません…」
「ふ~ん…」
とはいえ、ナツねえも少しは負い目に感じていたらしく、心配そうな表情で女性を見守る。
それなら詫びの一つでもすればいいのにと思うが、ナツねえにしてみればただ単に店の場所を聞いたにすぎないので、
謝るまでもないというか、そもそも彼女が怯える理由があまりよく分かっていないのかもしれない。
ともかく、ナツねえは女性が去っていくのを見届けると、邪魔な車列を手でまとめて払いどけてから、
地べたに這いつくばるようにして、教えてもらった場所をぐっと覗き込む。
すると、そこには確かに真新しいアイス屋があった。
「ふふ、みーつけた」
先程から一転、大きな笑顔で楽しそうに言うナツねえ。
しかし、この大きさでどうやって買い物をするつもりだろうか。
そう考えるとちょっと、いや、だいぶ不安になってしまう。
最悪、店や建物が全半壊してしまうなんてことも十分あり得そうだ。
そこで俺は先程の反省も踏まえ、気を利かせてというか、むしろ店のためにパシリを引き受けようとする。
「アイス、俺が買ってくるよ」
「いいのいいの♪」
だが、ナツねえはせっかくの申し出を無下に断ると、
あっと思う間もなくガラス窓やら自動ドアやらをちょいっと指先で突き破り、
(本当の意味で)店をオープンにしたところで元気な声で注文する。
「キングサイズ100人前くださいっ」
抑えているとはいえ、凄まじい声量を発するナツねえ。
あまりの爆音と吐息に残ったガラスも割れ、ぶっ倒れる客も出る始末だ。
「はひぃっ!! ふ、ふふ、フレーバーは…」
「全部でっ」
「か、かしこまりましたっ!!」
そんな中、巨大な指に威圧されてテンパりながらオーダーを受ける店員。
この状況でもまだ営業を続けるのは流石というかなんというか。
他の店員や客は腰を抜かしてしまっているのに、一人黙々と必死に巨大なアイスを作っている。
まさに店員の鑑。なんと涙ぐましく、滑稽な光景だろうか。
「え…えっと、会計が5万円になります…」
それからしばらくしてようやく人の大きさほどもある超特大アイスが完成し、
その陰から店員は恐る恐る代金を請求する。
「わたしからお金をとるつもりなの。へえ、いい度胸してるじゃない」
だが、ナツねえは店員を軽蔑したような目でそう言い、ニヤリと笑う。
傍から見てる俺でさえ背筋が寒くなる表情に、恐怖のあまり卒倒する店員。
おいおい、さすがにこれは酷すぎるぞ、と思って厳重に抗議しようとしたら、
俺が声を出す前にナツねえの表情がふと優しいものになった。
「なんてね。はい、お代。ちゃんとお店の修理費もありますから」
そう言って財布から札束をどさっと出すナツねえ。
一体幾らあるんだろうか、店の中にお札が山積みになる。
経費を抜いても絶対余りある額に、俺にも少し分けてほしいぐらいだ。
全く、いいヤツ何だか悪いヤツなんだか。
…どっから手に入れた金かは追求しないでおこう。
そんなナツねえの変心に、店員は初め何が起きたか分からないような表情をしていたが、
すぐに立ち上がると高速でぺこぺこと感謝する。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「それじゃ、これはもらっていきますね」
にっこりと笑みを返し、店の前まで運ばれた超特大アイスを指先で慎重に摘まむナツねえ。
それから、すぐ近くの公園に向かってブランコや滑り台といった遊具を押し潰しながらどかっと座りこむと、
アイスを幸せそうな表情でぺろっと食す。といっても、これだけ大きければ一口だ。
指に着いた分も綺麗に舐めとると、満足げにお腹を撫でる。
「ナオくんはいらなかったの?」
「ま、まあ…」
ふと尋ねてくるナツねえに、乾いた返事をする俺。
あんな後じゃ、気まずくて店に入れるかっての。
そもそも店は大破してしまってるので営業を続けられるかどうか分からないし。
それとも、分けてくれるつもりで聞いたのだろうか。
なら、食べ終えた後に言うなって話だが。
ちょっと抜けているというかなんというか。
* * * * *
結局、ナツねえが街まで来たのはアイスを食べに行くためだけだった。
女の子らしいと言えばそれまでだが、振り回される俺や街の人のことも少しは考えてほしいものだ。
まあでも、今日は特に大きな被害も出なかったことだし、ナツねえが満足したのならそれで良しとしよう。
「ところで、ナオくんはどこか行きたいところはない?」
「う~ん、ゲーセンとか?」
自分の用事を済ませたナツねえは、今度は連れて行ってあげるとばかりに聞いてきた。
でも、今日はこれといって街に用事もないので、ぱっと思いつくのはそれくらい。
確か最近新機種が導入されたとかで、ちょっと遊んでみたい気もする。
「またそういうことばっか言って。…あ、でも、ちょうどいいから連れて行ってあげる」
そう言ってニヤリと笑うナツねえ。どうせロクな事を考えちゃいないんだろう。
「…俺に案内させて壊そうってか」
「ぴんぽ~ん♪」
「何楽しそうに言ってるんだよ…」
俺は呆れながら空を仰ぐ。とりあえずゲーセンは却下だ。
ナツねえなら冗談でもやりかねず、そうでなくともまた街の人に迷惑がかかってしまう。
他の場所にしても、これ以上街に長居してはやはり何かと不都合だろう。
さて、どうしようかと思慮をめぐらせていると、ふとあるものが目に入ってきた。
「…そうだ、海なんかどう?」
「海? この季節に海水浴でもするの?」
「いいからいいから」
「は~い」
そして、素直に海に向かって歩き出すナツねえ。
いつの間にかすっかり夕方になり、道路が渋滞し始めていたが、
事も無げに車を器用に避けたりどかしたりして進んでいく。
橋の横で川を一跨ぎして、団地も跨ぎ、松林を越えれば海岸までもそう時間はかからなかった。
「ここでいいの?」
「ああ、ばっちりだよ」
「それじゃ、下ろすね」
やや広めの砂浜に着いたところでナツねえは俺を下ろし、自身も座り込む。
視線の先にはキラキラ輝く海と夕焼け空、水平線に沈み込む太陽。
「…綺麗だ」
「…綺麗ね」
あの時と変わらず美しい光景。
言葉少なに、二人は寄り添って夕日を眺める。
「………」
「………」
「あの、ナツねえ…」
しばしの沈黙の後、俺は意を決してそう切り出し、
続きを口にしようとした時、隣から穏やかな寝息が聞こえてきた。
「すぅ、すぅ」
「…寝ちゃってるか。きっとナツねえもナツねえなりに大変なんだろうなぁ」
緊張の糸が解けたように、すっかり寝入っているナツねえ。
自分よりはるかに小さくてか弱い人やモノに気を使うというのは思ってた以上に大変なことなのかもしれない。
でも、決して暴れたりせず、人を見下したりせず、この街やそこ住むみんなを大切にしてくれる。
欲を言えば、歩く度に道路をベコベコにしたり、時折洒落にならない悪戯をしたりするものの、
これ以上はきっと高望しすぎだろう。何事もほどほどが一番だ。
そんなことを考えながら、俺もいつしかまどろんでいった…
* * * * *
気がつくと、俺は家の前に着いていた。
寝ぼけ眼で振り返れば、ナツねえが立っている。
「…送ってくれたのか」
「うん。もうこんな時間だし」
どれくらい眠っていたのだろうか。気づけば、辺りはすっかり暗くなっていた。
「別に起こしてくれてもよかったのに」
「でも、ナオくんってすっごく気持ち良さそうに寝てるもんだから。
起こしちゃいけないかなと思って」
「そっか。わざわざありがとう」
何気ない厚意が嬉しく、ぺこりとナツねえに頭を下げる俺。
「どういたしまして」
にっこりと笑顔を返すナツねえ。
「それじゃ、また明日ね」
「ああ、また明日」
そして別れる二人。
今日も街は平和だった。
つづく…かも
↓拍手ボタン