★Secret Desire★ 第1話 -上- - 2014/02/12 - 原案: Iceman, 文: June Jukes


 とある夏の日の夕方。
「ただいまぁ」
「……」
むなしいことに、部屋に戻ったオレを迎える声は無かった。
黄昏時、誰もいない室内。
おまけに外から聞こえるヒグラシの声。
否応なしに寂しさが際立つ情景だった。
(アスカさん、今日は早く帰れるって言ってたのに……急に残業でも入ったのかな?)

 今日は早朝からずっと炎天下でのバイトだった。
汗だくの上半身には、濃縮された塩分が染み込んだシャツがべったりと貼り付いていた。
しかも、一日中締め切られていたこの部屋には熱気が充満していて、さらに汗が噴き出してきそうだった。
今夜も寝苦しい夜になりそうだ。もう勘弁してくれと嘆きたくもなる。
ともかく、早いところシャワーを浴びたい。
意を決して灼熱地獄の部屋に踏み込み、慌しくクーラーをつける。
温度調節のボタンを連射。当然、風量も最大だ。
ピ……ピ……ピ……
涼しげな音を立てるくせに反応が鈍いリモコンが、なんとも癪に触る。
暑さのせいでイラついているのが、自分でも分かる。
「はぁ……一体、いつまでこんな暑いんだか……」
思わず溜め息混じりの愚痴が飛び出してしまう。
ともかく、体にまとわりつくシャツを鬱陶しげに脱ぎ捨てて洗濯機に放り込み、浴室に駆け込んだ。


                                                            *


 汗を流し、クーラーが効いて涼しくなった部屋に戻ると、ようやく生き返った心地がした。
熱気に代わって吹きつける冷気が爽快感をもたらしてくれる。
(ふぅ……さっぱりした……)
少し上機嫌になって濡れた髪をバスタオルで拭いているとき、着信音が鳴った。
(おっ! アスカさんだ!)
この音はアスカさん専用。オレにとって大切な人だから一秒でも早く出たくて、こうしているのだ。
「もしもし、アスカさん?」
「あっ、裕也? ごめーん、ちょっと仕事が長引いちゃったー。で、もうすぐ会社出るからー」
オレのカン通り、やっぱり残業だった。
でも、あまり遅くならなくて良かったな。
「晩メシどうします? 何がいいですか?」
今日は自分が食事当番だったので、まずはアスカさんの希望を伺おうとしたのだが……
「ねぇ裕也ー、悪いけど駅まで来てくれるー?」
アスカさんはオレの質問を完全スルーしてくれた。
しかし、こんなのはいつもの事だ。
人の話を聞かない、もとい「高度なスルースキルを備えた」アスカさんとのやり取りも、もうすっかり慣れてしまった。
こういう人に対しては相手のペースに合わせること、つまり今はアスカさんに先に喋らせてしまうことが肝要なのだ。
ということで、オレは自分の質問などまるで存在しなかったかのように答えた。
「駅って、また『デザイア』ですか? ついこの間の火曜にやったばかりじゃないですかー」
「えー、いーじゃない、好きなんだからー。そういう裕也だって、だーいすきなオナニー、3日も我慢できるのかなー?」
「なっ……」
不意に痛い所を突かれ、分かりやすく狼狽えてしまうオレ。
ちょっと情けない。
「お、オナニーって……アスカさん! まだ会社ですよね? マズいッスよ、そんな単語!」

 でも、まあ確かにアスカさんの仰る通りだ。
一応オレだって年齢相応の健全な男子(のつもり)だから、性欲は日々適度に発散していかねばならない。
おまけに、この同居人さんは客観的に見てもかなりの美人で、しかも今みたいに躊躇なく「オナニー」なんて口にできてしまう奔放な性格なのだ。
これだけの条件が揃って3日間もオナ禁できるかと問われれば、残念ながら Yes と言える自信は全くない。
少なくとも心身の健康には良くないな、うん。

 で、アスカさんと言えばやっぱりオレの制止も聞かず、電話口でさらに「オナニー」を連呼してきた。
「ね、おんなじでしょ? 裕也のオナニーと私の『デザイア』。 どっちも我慢すると体に悪いしー、本能的なものだから仕方ないのよ。
 あ、私もたまにオナニーしてるよ♪ もちろん、ユ・ウ・ヤ・で♪
 こう、押し倒されてー私は為す術もなくてーみたいなシチュで♪ うふふふ♪」
「な……ちょ、一体なんスか、もう!」
「冗談よ、じょ・う・だ・んー♪ でも、これがまるっきり嘘でもなかったりしてー♪」
「ちょ、どこまでホントなんですか!」
「あーら気になるのー? さぁーて、どこまでだったかしらねー♪」

 こうやって遊ばれてしまう訳だが、いや、これも当然の事なのだ。
考えてもみてほしい。
妙齢の美しい女性が不適切ワードの連発で誘惑してきたのだ。
しかも、オレをオナニーのオカズにしているなどという新事実まで飛び出した。
健全な男子が、これに色めき立たずにいられようか?
おまけに、実はオレだってアスカさんをオカズにすることも無いとは……ごめんなさい、ほぼ毎回そうでした。
押し倒して襲うというシチュエーション、これも完全に図星ですッ!
自分でも顔が上気しているのが分かるが、意識して一呼吸置くことで気持ちを落ち着かせる。
アスカさんの悪ノリを早く止めなくては。
「いい加減オナニーから離れてくださいよ、ね! そもそも話はそこじゃなく……」
「ちょっと裕也! 来るの? 来ないの?」
アスカさんは、再び絶大なスルースキルを発動して強引にオレに決断を迫ってきた。

 もっとも、ここでオレが拒否するなどということは有り得ない。
アスカさんと「デザイア」するのは、メッチャ楽しいことなのだ。
「それはもう行きます! 行かせて頂きます!」
「うむ♪ 素直でよろしい。じゃあ、その素直さに免じて今晩はお姉さんが奢ってあげよう! 何か食べたいもの、考えといてね♪」
「おっ、マジですか? ラッキ〜」
晩メシの話題はとっくに吹き飛んでいたかと思っていたけど、アスカさん、ちゃんと聞いてたんだ。
しかも、奢ってくれるだって!
アスカさんはちょっと、いや、かなり強引な所もあるけど、それを補って余りあるほど気配りもできるお姉さんなのだ。
「じゃ、駅に着く前にまたメールするから、いつものトコで待ち合わせね♪」
「了解ッスー」
電話を切ったオレは急いでガシガシと髪を拭き、新しいシャツを着た。
出かけるのはまだ先なのだが、どうにも待ち遠しくていそいそとしてしまう。


                                                            *


 世間から見れば、オレとアスカさんは恋人同士に見えるのだろう。
アパートの一室に若い男女が同居と聞けば、まずはそう思われるのが当然だ。
確かにオレはアスカさんのことを一人の女性として好きだし、アスカさんもオレの事を好きだと言ってくれている。
恋人同士なのはホントだ。
でも、オレたちの関係は「それだけ」ではないのだ。

 季節が一回りするくらいアスカさんと一緒に暮らしてみて、分かったこと。
このふたりは、実は「姉弟」のようでもあるのだ。
いや、そもそもこうなったのは、アスカさんが
「同居人として恋人同士もイイけど、姉と弟みたいな関係もいいよねー。私、前から弟が欲しかったしー」
と言い出したことが発端である。
で、オレも特に拒否しないでいたら、アスカさんは時々「姉」になりきるようになった。
「裕也は私の弟なんだから、お姉ちゃんを迎えに来なさい!」
と命令したかと思えば、「姉貴」と呼ばれてみたいと言い出したり……
とにかく、アスカさんが姉っぽく振るまい、オレはそれに弟っぽく応え続けた。
そうしているうちに、オレの方も少しずつ本当にそんな気分になってきてしまって、現在に至るというわけだ。


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 アスカさんからの「もうすぐ」メールを受信して、オレは家を飛び出した。
自転車に乗り込んで颯爽と漕ぎ出せば、割と賑やかな最寄駅までは5分とかからない。
家路を急ぐ半袖ワイシャツ姿の人々、学生、そして買物客が行き交う喧騒の中に、時折セミの声が混じってくる。
外はすっかり暗くなったというのに……各々が短い一生を全うしようと懸命なのだ。
これぞ、まさに夏の終わりという感じの光景だった。

 駅前駐輪場に自転車を置き、待ち合わせ場所の改札口に駆けつけた。
周辺を見渡して、どうやらアスカさんより先に着けたらしいことに安堵する。
アスカさんは時間にうるさい人ではないけど、オレの気持ち的には、やはり男として女性を待たせたくはないのだ。
そうこうしているうちに、通勤客たちが続々と階段を降りてきた。
たぶん、この電車に乗っているはず……
人波の中にアスカさんの姿を探す。
すると、仕事帰りの疲れた顔が並ぶ中、ひときわ輝いて見えるスタイルの良い美人が見えた。
(……いた!)
オレの「姉」兼「恋人」のアスカさんだ。
手を振って合図を送る。アスカさんもすぐに気付いて、手を振り返してくれた。

 手を振る、早足でこっちに向かってくる。
そんなアスカさんの一挙一動ごとに、服の上に浮かび上がった巨乳がゆっさゆっさと揺れているのが分かる。
電車の中に居合わせた人たちも、これはかなり良い目の保養になっているんじゃないかな?
でも、このおっぱいはアスカさんとオレだけのもんですから。ふふっ。
「お待たせー♪ さて、まずどうしよっかなー。裕也、お腹すいてる?」
「あ、大丈夫です。先に『デザイア』でいいッスよ」
こうなると見越して家を出る前に菓子パンを食べておいたのは、やはり正解だった。
「そう? じゃ、お言葉に甘えて♪ あー、3日もデザイアしないと体がウズウズしちゃうのよね?♪」
「でも、先月は1週間とか行けなかったこともありましたよね」
「そーなのよー。仕事が忙しいと、どうしてもねー。でもっ♪ 今月はまだ少し余裕あるから、このスキにやれるだけやっとかないとね♪
 裕也も私とデザイアできて嬉しいよね? ね? ね?」
頭半分くらい背が低いアスカさんが、オレの顔を覗き込むようにしながら迫ってくる。
その仕草と表情にキュンとさせられながらも、オレは勢いに押されて半歩後ずさりしてしまった。
「ちょちょ、アスカさん、『ね?』が多過ぎますよ。でも、そうッスねー、先月は一緒にいられなくて寂しかったんで……」
「……で、オナニーしてたんだ?」
「ちょ……ちがっ!」
「あー、裕也クン紅くなってるー♪ うんうん、キミはそういうトコが可愛いのよね?」
頭をなでなでされた。
こうやってアスカさんに可愛がられていると、くすぐったいような感情が湧き出してくる。
これが弟としての「姉萌え」ってヤツなのだろうか?
「じゃ、行くわよ」
「了解ッス!」
こうして、オレとアスカさんは手を繋いで歩き出したのだった。



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 金曜の晩ということもあり、受付はかなり混んでいた。
オレたちみたいなカップル以外にも、学生や社会人のグループ、そしてひとりで遊ぶと思われるヤツも結構多い。
アスカさんがカウンターで店員と話している間、手持ち無沙汰のオレは、何となく壁に貼られたポスターを見ていた。
この秋投入されるデザイアの新機種、「DESIRE IV」。
オレが中学の頃の初代機は今から思えばかなりチープだったのに、最近のは凄くなったよなあ……
 
【DESIRE】(デザイア)
大手エンターテイメント企業 Seventh Heaven社が開発した「バーチャルリアリティ体験型ゲーム機」の名称。
他社の類似機種も「デザイア」と呼称されており、すでに普通名詞化しつつある。
ゲーム機とはいえ人間がすっぽり入れる大型筐体のため、主に家庭用ではなく店舗用で、
それも特にカラオケボックスから業態変更したところに設置されることが多い。
現にいまオレたちがいる店だってそうだ。後は、ゲーセンとかの一画にあったりすることも多い。
そもそも、DESIRE とは正式名称の「DEvice of SImulated REality」の頭文字を繋げた造語(アクロニム)なのだが、
これはたぶん「Desire」=「欲望」という言葉が先で、正式名称の方が後付けなのだろう。
仮想空間は、何でもできてしまう世界。
たとえ現実世界では許されざることであっても、なんでも、そう「欲望」のままに……

 しかしまあ、元カラオケボックスという都合上、やはり筆頭に挙げられる使い方は「デザカラ」だろう。
こいつのおかげで、世間一般のカラオケシーンは劇的に変わった。
そういえば、この前ゼミの打ち上げで「デザカラ」に行ったとき、先生が思い出話をしてたっけ。
昔はカラオケと言えば狭い部屋だったのに、今は仮想空間の広いステージで歌えていい時代だねって。
解放感は桁違いだし、コスプレだって簡単だ。
それにしても、あの真面目な先生が昔のボーカロイドのコスプレで弾けていたのには、
人は見かけによらないというか、とにかく驚かされてしまった。
訊けば、先生は学生時代にボーカロイドが歌って踊る動画を作っていたのだと。
当時パソコンで延々作業していたものも、今では自分が踊ったものを多少修正すればすぐ完成。
簡単になったねぇ……と、感慨深げだった。

 サバイバルゲームが趣味の友人も、最近はほとんどデザイアでやるよと言っていた。
だから FPS との境界が曖昧になっちゃってと苦笑していたな。
リアルのサバゲは夏は死ぬほど暑いし、そもそも季節に関係なく埃と汗まみれになるのは避けられない。
デザイアならそんな苦労とは無縁で、肉体的な疲労も少ない。
それに、実弾の音と反動を「体感」できるのは、趣味人にはたまらない興奮らしい。
市街戦もできるし、野砲だ戦車だヘリだと、リアルじゃ考えられない「小道具」まで登場させられてしまうのだと。

 そして、デザイアの使い方は何も遊びだけじゃない。
自動車の教習からパイロットの訓練まで、ありとあらゆるシミュレータも今ではすっかりデザイアに置き換えられてしまった。
予備校の授業や企業の会議でも取り入れている所があるらしい。
だけど、そういえばデザイア上で会うのを「デザオフ」と呼ぶの、あれはよく考えると間違ってるよな。
デザイアは間違いなくオンラインなのだし。

 そして、もうひとつ。
表だって語られることはないけども、デザイアにはまだ別の重要な用途があるのだ。
これは端的に言えば、デザイア上でセックスすること、だ。
なにせ何でもできてしまう仮想空間なのだから、当然と言えば当然の使われ方だが。
今や、デザイアを使ったヴァーチャル・セックスは、男なら誰でも一度は経験があるはずと言っても良いだろう。
だけど、そればっかりでは「リアル童貞」という有り難くないレッテルを貼られてしまうことになる。
風俗でしか経験がない奴を「素人童貞」と呼ぶのと同じことだ。

 NPC 相手では味気ないからと、リアルの異性とデザイア上でえっちするのも、オレらの世代では当たり前になった。
ぶっちゃけて言えば、今ココにいるカップルたちの大半はそれが目的で来ているのだ。
まあ、オレたちもそうなのだけど。


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 ようやく受付が完了した。
店内にはオープンスペースと個室があるが、アスカさんとふたりのときはいつも個室を選ぶ。
ヴァーチャル・セックス中でも、外目には筐体内におとなしく座っているだけだから他人に分かりやしないのだが、
それでもオープンスペースでヤるのには、かなり抵抗がある。
それに、個室ならリアルでもアスカさんとくっついて座れるし、ね。
エレベータから出て、2人用の、つまり事実上はカップル用の個室が並んだ長い廊下を歩く。
この階は全部、そんな個室になっているのだ。
途中、向こうからオレたちみたいなカップルがやってきた。
大学生かな? 彼女さんは随分とはしゃいでいる。
アスカさんとは全く違う、背が低くて童顔の可愛い彼女さんだ。
オレたちが「姉弟」ならば、さしづめあっちは「兄妹」ってところだろうか。
(いやいや、ロリ系と見せかけておいて、何気に結構けしからんおっぱいですな……)
アスカさんに悟られないようさり気なく、だがしっかりと彼女さんのスペックを確認してしまう。

 だが、アスカさんはオレより一枚上手だった。
オレたちの個室の前に着いたとき、アスカさんは唐突に切り出してきた。 
「いま廊下ですれ違ったカノジョさんさー」
「えっ?」
(ドキッ!)
「裕也ってば、ずーっとチラチラ見てたでしょ」
「へっ!?」
「もう、気付いてないとでも思った? 悪いけどバーレバレだよ」
(あばばば……)
「いえっあのっ、別にそういうつもりじゃ……」
「あーあー、分かりやすく慌てちゃってー。別にいいのよ、オトコっていうのは『そーゆー遺伝子』なんだし。
 だけどね、おねーさんは何でもお見通しなんだから、これ以降コソコソ下手な芝居をしないことっ!」
「すみません……」
 ああ、今日もオレは完全にアスカさんの「弟」です。
お姉様には勝てませんっ。

「ま、それはともかく……今は楽しみましょ?」
「はいッ」
オレはサッと個室のドアを開け、アスカさんを先にお通しする。
アスカさんは満足げに室内に入り、デザイアの筐体にしつらえられた椅子にドサッと腰掛ける。
「ふ〜、クーラーガンガンで涼っし〜」
個室でふたりきりになった瞬間、アスカさんは早くもギアチェンジだ。
ただでさえハイテンションなのに、それがさらに上がるのだ。
「さぁ、いくわよ! 仮想空間へレッツ・ゴー!!」
慣れた手つきでメモリカードをスロットインし、ヘルメットとグローブ、そして諸々のインターフェイスを装着する。
ふたりで徹底的にカスタマイズした特製のゲーム空間は、ロードに結構な時間を要するのだ。
その間は、はやる気持ちを抑えながら、仮想空間にうまく没入(ダイブ・イン)できるように目を閉じていた方が良い。
それなのに、アスカさんはオレの手を握ってきて……気持ちが乱れそうになる。
(ちょ、心拍数上がっちゃうよ……!)
でも、アスカさんと手を繋いでいたい。
機械的なカウントダウン音声を聞きながら、オレは、初めてアスカさんとデザイアに来たあの日のことを思い出していた……


                                                            *


 正直言って、アスカさんの趣味は「かなり」変わっている。
今ではオレも完全に染められてしまったけど、元々は全くそんな趣味は無かった。
いや、考えたことすらなかったというのが正確なところだろう。

 今でも、オレたちと同じデザイアの使い方をするヤツなんて、周りでは聞いたことがない。
だが、前世紀の古典に曰く「ネットは広大」なのだ。
アスカさんから教えてもらった同好サイトは、どこも非常に活発だった。
この世には、こんな風に自分の知らない奥深い世界が、数多く存在しているのだろう。
とにかく、アスカさんも自分の趣味が相当変わっていることを自覚した上で、オレに打ち明けてくれたのだ。
あれは付き合い始めたばかりで、オレがまだ「クン」付けで呼ばれていた頃だった。

「あのさ、裕也クン、ちょっと話があるの……」
「何ですか、急に改まって?」
「……私って『物を壊す』のが好きみたいなんだ。生まれつき」
「はい?」
言っている意味がよく分からなかった。
「うん。壊したり、壊れていくのを見たりするのが、好きなの」
「ちょ……物騒ですねぇ。
 でも、アスカさんがそんな事してるの見たことないですけど?酔って暴れるとか? いや、それもありえないか」
アスカさんがお酒に強いことは、もう分かっていた。
「そうじゃなくて……その、ほら裕也クンも知ってるでしょ? デザイア」
「え? そりゃ知ってますけど……
 あっなるほど、仮想空間で物に当たり散らしてストレス発散ですか?」
「んー、確かにそうではあるんだけどー。何て言うか、それだけじゃなくて……ちょっと口では説明しにくいのよ。
 でね、一度見てくれれば分かると思うんだけど……いいかな? いいよね? うん、『百聞は一見にしかず』って言うじゃない!」
例によって、このときもオレには選択権が無かった。
「別にいいですけど、何でそんな予防線張るんです? アスカさんらしくもない」
「うーん、その、これは普通の人から見ればかなり特殊というか、想定外だと思うから……
 で、裕也クンにドン引きされたらヤだな、って」

こう言われても、オレの脳内イメージではアスカさんが金属バットを振り回すとか、
せいぜい、例のサバゲ好きの友人のようにマシンガンを乱射、戦車で砲撃するとかかなという程度だった。
破壊衝動という「欲望」をデザイアで晴らすというのは、その名の通りの使い方。
むしろ理に適ってるじゃないかと思ったくらいだ。
「一応言っとくけど、仮想空間だからどんなに危ないことがあってもリアルには大丈夫なんだからね?」
「大丈夫ッスよ。自分もデザイアは知ってますし、友人とサバゲやったこともありますから」
「うーん、多分そんなレベルじゃなくて……驚くなって言っても無理だと思うけど、これが私の趣味だから。 諦めて……ね」

 それでもまだ、オレはアスカさんの言葉を軽く考えていた。
むしろ、このときはアスカさんが見せていた妙な恥じらいの表情にドキドキしていて、少し上の空になっていたんだと思う。
お姉さん風味120%で上から圧してくる普段の調子とは、まるで違っていたのだ。
しかし、それからまもなく、オレはアスカさんの言葉の本当の意味を噛みしめることになるのであった。


                                                            *


 アスカさんが用意した仮想空間で目を開いたオレは、意外な場所に立っていた。
業務用エアコンの室外機やダクトが並んだ……ここはビルの屋上?
「アスカさん……?」
姿が見えない。
手すりのところから外を見てみると、どうやらここはオレたちがデザイアに入ったビルの屋上のようであった。
(なんで、こんな所に?)
ともかく下へ降りようと、ビルの中に戻るドアへ向かった瞬間。
突然、グォオッという不気味で大きな音が背後に迫ってきて、何事かと振り返る暇もなく、地響きと激しい縦揺れが襲ってきた!
「うッわ、地震だッ! でかッ!」
咄嗟にしゃがみ込んで身構えた。
しかし、激しい揺れはその一撃だけでウソのように収まってしまった。
(なんだ今のは? ん? ……でも、なんかやけに暗くないか?)
不審に思いながら振り返ったあの瞬間。
目にした光景を、オレは一生忘れないだろう。

( ……き、 巨 人 だ ! )
その正体はすぐ分かった。
( ア ス カ さ ん ! )

 聳え立っていたのは、巨大化したアスカさんだった!
それも、周囲のビルが膝にも届かないほどの、大、大、大巨人!
さっきのは、この巨大なアスカさんが大地に降臨した衝撃だったのだ!
「なに……これ……ウソだろ。 ……ちょ、マジで!?」

 この瞬間、アスカさんの「趣味」がオレの想像を遥かに凌駕したものであることを知った。
いや、「知った」なんてレベルじゃなく「思い知らされた」と表現すべき、大ショックであった。

 オレはこわごわと、アスカさんを見上げた。
しかし、その格好はブッ飛んでいると言うほかない凄まじいものだった。
ブラックとパープルでまとめられた、光沢も艶かしいコスチューム。
ピチピチのスーツはボディラインを際立たせ、大きくカットされた胸元からは深々とした谷間が覗き、脚の部分は超ハイレグになっていた。
そして脚にはロングブーツ、手にはロンググローブという鉄壁のコーディネイト。
さらに、コスチュームと同系色のアイシャドーが印象的なメイクが、冷たく鋭く厳しい表情を演出していた。
いつもの「お茶目なお姉さん」らしさなど、欠片も残っていなかった。
そこにあったのは、セクシーとバイオレンスが徹底的に強調された妖艶な美女の姿であった。
まるで戦隊モノの悪の女幹部を彷彿とさせるような……

 そんなアスカさんが、超高層ビル級の巨人になって聳え立っていたのだ。
足を肩幅に開き、両手を腰に当てて堂々と胸を張り、獲物を見るような視線で街を見下ろしている。
その迫力と威圧感は、禍々しい漆黒のオーラが見えるほどであった。


                                                            *


 遠くを見渡していたアスカさんが、チラッとこっちを見た。
屋上のオレを見つけると、刹那のあいだ表情を緩ませてウインクしてくれた。
それなのに、これまでのあまりにも衝撃的な事態に狼狽えていたオレは、咄嗟に何もすることができなかった。
固まったままのオレにアスカさんは少し表情を曇らせたが、再び意を決したように冷酷な女幹部の顔に戻ってしまった。
(しまった……)
アスカさん、あんなに気にしていたのに!
どうしてオレは、今ここでアスカさんを安心させてあげることができなかったんだ!
慌てて大きく手を振ってみたけれど、時既に遅し。
オレは、今のアスカさんから見れば指先にも満たないコビト。
もう、気付いてもらえなかった……

 取り返しが付かないことをしでかしたという後悔が襲ってきたが、もはやオレにはどうすることもできなかった。
なすすべもなく、聳え立つアスカさんを見上げることしかできなかった。
圧倒的に巨大なその姿は、本能的な恐怖心を駆り立てるものだった。
しかし、オレが感じていたのはそんな恐怖だけではなかった。
あれだけ挑発的なコスチュームなのだから当然とも言えるが、アスカさんはいつも以上に美しく見えたのだ。
いや、コスチュームのせいだけじゃない。
何と言うか、オレはこのとき既にアスカさんの「巨大さ」に対して、ゾクゾクするような、形容し難い魅力を感じていたのだ。

 しかし、オレに見とれている暇は与えられていなかった。
アスカさんの「物を壊す」行為が、今まさに始まろうとしていたのだった。
眼下の街を得意気に一瞥したアスカさんは、右手を指先まで伸ばして狙いを定め、そこから激しい雷撃を放った!
見るからに禍々しい紫色の稲妻がオフィスビルに直撃し、大爆発が起こった!
目の眩む光、耳をつんざく音、焼けつく熱気が一挙に襲来し、オレは反射的に顔を背けながら耳を塞いでしまった。

 数秒後、爆発のあった方角を恐る恐る見てみると、ビルは上半分が跡形も消し飛んでドス黒い煙を立ち昇らせていた。
アスカさんは右手を伸ばしたまま微動だにしなかったが、無惨な破壊の様子を見届けると、聞いたこともないような声で高笑いを始めた。

「クックック……アハハ、アハハハハハハハハ!!」

街じゅうに哄笑を轟かせながら、今度は雷撃を四方八方へ乱射し始めた!
ビルが次々に粉砕され、破壊音が響く。
映画かアニメか、あるいは遠くの国で起きている戦争のニュースか。
とにかく映像でしか見たことのなかった凄まじい光景が、リアリティを持って目の前に展開されていた。
アスカさんの言った通り、確かにサバゲなんかとは桁違いの有様だった。

 そこかしこから悲鳴が上がり、道路は車道も歩道も関係なく逃げようとする人とクルマで溢れかえった。
誰もが、突如現れた女巨人から少しでも早く遠くへ逃れようと、パニックになっていた。
だが、アスカさんの攻撃はどんどん激しさを増していった。
絶え間なく放たれる雷撃で街の外周部を舐めるように破壊し、幾重もの炎の壁を立ち上がらせて完全に人々の逃げ道を奪ってしまった。
オレを含めた数万人は、駅前を中心とした直径1キロ弱のエリアに取り残されてしまった!
かなりの広さのように思えても、これはアスカさんにしてみれば半径たったの数歩……

 人々を完全に包囲したことを確認すると、アスカさんは冷酷な笑みを浮かべながら手のひらに巨大な火球を生み出した。
直径十メートルはあろうかという、青紫色の炎が渦巻くそれを、勢いを付けて地上へ投げつける!
着弾点はかなり離れていたが、これまでの雷撃とは比較にならない激しい閃光、衝撃波、轟音、激震が次々と押し寄せ、駆け抜けていった。
オレはうずくまったまま屋上の手すりに掴まり、必死に耐えるので精一杯だった。
立ち昇ったキノコ雲を見上げるまでもなく、あれの直撃を受ければ瞬時の消滅あるのみであることは明白だった。
たった一撃で少なくとも数千人を消し飛ばしたというのに、アスカさんはクスッと鼻で笑うだけであった。
そして、両手に次々に同じ火球を作りだしては、街を猛爆していった。

 雷撃と火球でズタズタに破壊された街を、アスカさんはさらなる灼熱地獄へと変えていった。
大きく息を吸い込み、口から極太の火柱を吐き出す。
あまりの超高温でプラズマ化したジェットが直撃した高層ビルは瞬時に赤熱して、
ドロドロに融けた鉄骨やコンクリートの雨を人々の頭上に降り注がせたのだった。
ほんの数秒で、ビル本体も飴のように歪みながら崩壊していった。
ビルの中に取り残され、あるいは崩壊に巻き込まれ、赤黒く流れる溶岩に呑み込まれる人々の最期は、想像するまでもなかった。

 阿鼻叫喚の最中、どこからともなく何機もの大型ヘリコプターの爆音が聞こえてきた。
しかし、アスカさんは両眼から強力なレーザービームを放ち、一瞬でそれらを焼き払って撃墜した。
僅かに残った黒焦げでボロボロの残骸が、地上に落下していく。
アスカさんに蹂躙されていくこの世界には、空にだって逃げ場がないことが見せつけられた。
余勢を狩って、ビームで街をぶった切っていくアスカさん。
焼き切られたビルの上部が、剣豪の斬撃のようにゆっくりと滑り落ちていった。


                                                            *


 アスカさんの攻撃はとにかく多彩で、しかもその全てが圧倒的なパワーを誇示していた。
数分と経たずに、オレたちを包囲する炎の壁の内側は、世界の終わりのような惨状へと変わり果てていた。
跡形もなく破壊されたビルは赤熱した瓦礫の山となり、一部は溶岩となって流れ出している。
あちこちに口を開けた巨大なクレーターの中は、一切が消滅して大地が剥き出しになっていた。

 これだけの大破壊を、アスカさんは最初に降臨した場所から一歩も動くことなくやってのけてしまったのだった。
しかし、ついに大地を踏みつけていた巨大な足がゆっくりと持ち上がり、高々とかかげられた。
それだけの動きで、腹の底に響くような重低音が轟いてくる。
(……軽く足を上げただけで、ビルより高いなんて!)
そして、誰もが予想した最悪の展開が始まった。
逃げ場を失って右往左往するだけの人々に対して、アスカさんの肉体による圧倒的な直接物理攻撃が開始された。
一歩ごとに地響きを轟かせながら足下のビルや住宅をまとめて踏みつぶし、あるいは無造作に蹴散らしていく。
アスカさんから見れば小指の先よりも小さな相手に対して、それはあまりにもオーバーキルだった。

 鉄道の高架橋も一蹴で破壊され、巻き添えになった電車を蹴り飛ばされた。
数両が繋がったまま吹っ飛んだ電車は、恐ろしい勢いで転がりながら人家を薙ぎ倒していく。
ビルに引っかかってようやく止まったときには、もはや原型を留めぬほどグシャグシャに捻じ曲がってつぶれ、無惨な姿と化していた。
アスカさんはそのまま高架を壊しながら進み、たった数歩で駅、つまりオレの目の前へ到達した。
凄まじい歩幅で近づいてくるその姿は、一歩ごとにますます大きくなっていくように見えた。
(デカい! デカ過ぎるよ……! なんて巨大なんだ……)
もはや、垂直に近い角度で聳え立つアスカさん。
たった2回の足踏みで駅舎とホームを粉砕し、続いて9階建ての駅ビルを掴んで持ち上げようとした。
巨大な指で外壁を突き破り、ビルを半ば崩壊させながらも強引に引きちぎって、頭の上まで高々と持ち上げた。

 こぼれ落ちてくるコンクリートの塊や鉄骨が、オレのすぐ近くにも降り注いできた。
(うわっ……!)
アスカさんにとっては小さなゴミかも知れないが、これが一つでも当たればオレは即死だ。
デザイアの中だから大丈夫だと分かっていても、重量物が唸りを上げて落ちてくるのは、やはり恐ろしい。
それなのに、アスカさんはオレの事など気にも留めずに乱暴にビルを振り回し、殺人的な大きさの瓦礫を撒き散らし続けた。
そして、大きく振りかぶり、まだ破壊されていない街へ向かってそれを投げつけた!
駅ビルだった塊は衝突点の街をえぐるようにして砕け散り、ぐしゃぐしゃに混じり合った瓦礫の山と化した。


                                                            *


 地獄変の街に、全ての元凶であるアスカさんの高笑いがこだまする。
大破壊をかいくぐってきた人々も、次第に狭まってゆく猛火の波から逃げ惑ううちに、アスカさんの足元という最悪の危険地帯へと追い詰められていく。
そんな彼らへ、アスカさんは容赦ない蔑みの言葉を投げつける。
「アハハハ!……逃げることすら満足にできないのかしら? 愚かでひ弱な生物は、踏みつぶされて滅びなさい!」
こう死刑宣告をすると、アスカさんは巨大な足を振り上げ、今度はビルの巻き添えなどではなく明確に「人間を狙って」踏みつぶした!
(ひいっ……!)
一瞬で何十人もが巨大なブーツの下敷きになり、断末魔の悲鳴の途中で踏みつぶされた。
さらに追い討ちをかけるように、アスカさんは膨大な体重をかけてグリグリと荒々しく踏みにじる。
辛うじてブーツの直撃を免れた人々も、幸運に安堵するまもなく巻き込まれて擂りつぶされてしまった。

 アスカさんが人々を蹂躙した足を持ち上げる。
(あ、あの下には……!)
無惨に引き千切られた圧死体と血の海を想像して慌てて顔を背けたが、それでもやはり恐る恐る見てしまっていた。
しかし、巨大な重量で陥没した足跡の底には粉々に割れたアスファルト舗装の残骸があるだけで……
(え……誰もいない!? なんで? ……そうか、アスカさんが「そうしている」んだ!)
アスカさんがデザイアを「そのように設定している」ことに、オレは気が付いた。
そういえばこれまでも、死体はもちろん苦しむ負傷者の姿すら見かけたことはなかった。
(そうか、アレと同じなんだ……)
オレは、例のデザイアのサバゲで頭を撃たれたときのことを思い出していた。
あのときも、血と脳漿をぶちまけるようなグロシーンにはならなかった。
オレは硬いもので叩かれたような衝撃とともに地面に倒れ、身体を動かせなくなっただけだった。

 アスカさんは巨人となって街を破壊する爽快感が好きなだけで、残酷なものは見たくないんだ!
アスカさんは、オレの知ってるアスカさんのままだった。
そうと分かったオレは、これまでよりも遥かに安心して街が蹂躙されていく様を見ていられるようになった。


                                                            *


 巨大過ぎるアスカさんは、せわしなく歩き回って人間を追いかける必要などない。
巨人らしく悠然と、その場でゆっくり足踏みをするだけで、爪先から踵まで20メートルを優に超えるハイヒールブーツが襲いかかるのだ。
ロックオンされたら最後、逃げることなど不可能であった。
ザクザクという表現がぴったりなほど、あっけなく、そしてなすすべなく、大勢の人々が踏みつぶされていった。
繁華街の狭い路地に逃げても無駄であった。
アスカさんが軽く足を伸ばせば、周囲の雑居ビルごと彼らを踏みつぶせるのだから……

 地下街も膨大な体重で踏み抜かれ、至るところが崩落していた。
逃げ込んだ人々は、頭上から響く巨人の足音におびえ続けた後……
突然飛び込んでくるブーツで直接踏みつぶされるか、落盤に押しつぶされるかという運命であった。

 固いブーツの靴底で大勢の人々が蹂躙されていく地獄から、ふと目を上に向けると、思わず見とれるほどの天国の光景が展開されていた。
巨大なふとももやお尻がぶるんぶるん、さらに上空では小山のようなおっぱいがゆっさゆっさと、艶かしく揺れ動いていた。
アスカさんの一挙一動が、頭上で女性らしいエロスを醸し出すのと同時に、足下では恐怖の悲鳴と断末魔の声を立ち上らせる。
異常過ぎるコントラストだった。


                                                            *


 人々が追い立てられてきた駅前広場は、隙間なくアスカさんに踏みにじられ、巨大な足跡で埋め尽くされていった。
残り少なくなった生き残りは散り散りになって逃れようとしたが、それも絶望的な抵抗であった。
アスカさんの「足跡」そのものが、彼らの行く手を阻んでいたのだ。
足跡の中はブーツの靴底の凸凹が刻みつけられて激しい起伏の連続になっており、遅々として進めなかった。
しかも、陥没した足跡の縁は2メートル以上もそそり立つ壁になっていた。
アスカさんは自分の足跡の中で悪戦苦闘する無様な人間たちに失笑しながら、彼らを次々と踏みつぶしていった。

 それでも、体力と幸運に恵まれた一団の人々がついに最後の壁を登りきって、こっちへ駆け出そうとしていた。
しかし、広場の反対側を掃討していたアスカさんはそれに気がつくと、
「小癪ね……」
と言うが早いか、たったの一歩で数十メートルの距離を詰め、彼らを踏みつぶすための足を高々と掲げた。
(うおお、お……!?)
オレは、自分のいるビルごとアスカさんの足の影の中に収まってしまっていた。
巨大な靴底が完全にこちらをロックオンしていた。
(え? ちょ、アスカさん……?)
アスカさんはオレに気付くことなく、真っ直ぐにブーツを! ブーツを! うわあああ……!!


                                                            *


「カキッ☆」
硬い音が響き、地面が大きくグラリと揺れた。
(……!?)
うずくまったままの姿勢で目を開けると、目の前わずか数十センチのところに巨大なブーツの靴底があった。
まさに寸止め、間一髪だった。
(……た、助かったのか!?)
爪先から踵へと立ち上がる曲線が、急激に角度を変えながらピンヒールに繋がっていた。
何かのモニュメントのような壮麗ささえ感じる美しさだったが、これは数千人を踏みつぶしてきた元凶なのだった。

 それがフワッと上空へ遠ざかると、入れ替わりに慌てた表情のアスカさんがしゃがみこんで来た。
巨大なふとももが折り畳まれながら上半身がグオォッと迫ってくる迫力に、たじろいでしまう。
「ごめ〜ん、裕也クンこのビルだったんだー。大丈夫? 怖かった?」
大丈夫なわけないじゃないですか。
しかし、答えようとしても口の中がカラカラに乾いていて、言葉が出てこない。
「間違えて裕也クンを踏みつぶしちゃわないように、バリアを張っといたんだ」
 片膝を突いたアスカさんは、ビルに覆いかぶさるように背中を丸めてオレの方を覗きこんでいた。
左を見ても右を見ても、ピチピチのサイハイブーツに包まれた直径十五メートルものふとももが視界を占領していた。
(これが、あの凄まじい破壊を引き起こした脚……なんて巨大なんだ!)
ブーツの最上部からは、十数メートルにも渡って生脚が露出している。
その広大過ぎる「絶対領域」の奥には、超ハイレグのボディスーツが食い込んだ巨大な股間が鎮座していた。
上を向けば、空を覆うように聳える上半身から、山のような巨乳が張り出している。
とにかく、息を飲むばかりの荘厳にしてエロティックな光景だった。

 黙ったままのオレを、アスカさんはいきなり親指と人差し指でつまみ上げた。
猛烈な加速度で目が回り頭がくらくらとなったが、ともかくオレはバレーボールコートサイズの手のひらに乗せられた。
目の前に、アスカさんの巨大な顔が迫る。
オレなんか一飲みにできそうな口が動いて……
「ごめん、ホントにごめんね♪ でも良かったー、何ともないみたいで」

至近距離から、頭にぐわんぐわんと響くほどの大音量を浴びせられた。
一単語ごとに風がドドッと押し寄せてくる。
なんかもうオレは少し頭に来て、精一杯の大声を張り上げて叫んだ。

「何やってるんスか! これ! ホントもう!」

思いがけないオレの怒声に、アスカさんの巨体がビックンと大きく震えた。
手のひらの上のオレもよろけてしまうのが悲しい。
だが、ちっぽけなオレが、巨大なアスカさんを狼狽えさせていたのだ。

「えーと、その……大魔王サマ、ごっこ……かな?」

最上級の決まり悪さでつっかえつっかえ白状したアスカさん。
なんと、悪の女幹部じゃありませんでした。
もっとずっと上の「大魔王様」でしたか、さようでございましたか……って、そんなことはどうでもいい。

「……この状況を、もう少し分かるようにご説明頂けますかね? アスカさん」

(つづく)

【第一話  -上- 終】
<つづく>

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